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ブラジル雑学 その6 『秩序と進歩』 [ブラジル雑学]

 ブラジルの現在の国旗は、1889年11月に発足した共和制を記念して制定されたものですが、真ん中にある星空を意味する青円の中には、世界の国旗の中でもめずらしく言葉が書いてあります。それは“Ordem e Progresso(秩序と進歩)”という立派な言葉です。 しかし、面白いことにブラジルの社会ほどこの“秩序と進歩”という言葉とかけはなれた国はないようです。
 同じブラジルに住んでいる者でも、ドイツ系とか日系などは、その国民性の特質もあってか、かなり違うようですが、旧移民であるポルトガル系や奴隷として入ってきたアフリカ系の人間は、金持ちも貧乏人もそろって約束とか時間を守るのが大の苦手のようです。

 唯一、時間を守るのは、サッカーの開始時間とカーニバルにおけるエスコーラ・デ・サンバ(カーニバルに出場するサンバチーム)の入場時間のようです ^_^;  サッカーは遅れると観客が騒ぎ出して危険だし(サッカーファンはどこの国でも熱狂ファンが多いですからね)、カーニバルのサンバチームは入場が遅れたり退場が超過すると減点となるからです。  この他は、よしては知るべし、すべていい加減。 約束が守れないのは、一つにはイスラム流の考えがブラジル人の考え方の基本にあるからだといわれています。イスラムの世界は、現在だけが重要で未来は“イン・シャ・アラー(神の意思があれば”と捉えます。 これは、人間が勝手に決めてはいけないといういことで、ブラジル人にとっては大変便利な解釈で、たとえ寝過ごして約束の時間に遅れても、寝過ごしたのは神の意思ということにしてしまう。 これはちょうどブラジルで“セ・デウス・キゼール(Se Deus quiser=神の望むままに)”と言うのとまったく同じ思考ですね。  

  ブラジル人の計画性のなさは有名で、前もって詳細な計画を立て、それを系統立てて物事を進めていくということが苦手なようです。 ブラジルに始めて来た人は、ブラジル人が交通規則を守らないのに驚きます。信号無視は当たり前、制限速度はあってなきがごとし、駐車違反にダブル駐車(駐車しているクルマの横にもう一台駐車すること)などは朝飯前、窓からゴミは捨てるし、横断歩道にクルマを止めるし、etc 、etc、でもうカオスそのものという感じです。 ブラジルは先進国ではないから、といえばそれまでですが、基本的に思考法が違うようです。 たとえば、日本ではクルマが一台も通ってなくても、赤信号を渡る人はいません。 ブラジルでは、クルマも通ってないのに赤信号でボケ~っと待っているのはアホだ、と言われるくらいです。 都会などでは、歩行者は一応皆赤信号で待っているようですが、それは交通規則を守っているのではなく、クルマが通っているから、つまり危険だから待っているだけの話なのです。 だから、ちょっとでもクルマの流れが途切れるとちょろっと渡ってしまいます。 バスや電車、それに飛行機が予定通りに出発・到着しないのは普通ですし、バス会社、鉄道会社、航空会社もそれをフツウだと思っているし、文句をいう乗客もいない。 文句をいおうものなら、「それでは他の会社をご利用下さい」となってしまう。 交通規則を守らない歩行者も歩行者ですが、クルマを運転するドライバーはもっとひどいのです。 高速道路での右側追い越し(ブラジルでは右側通行だから追い越しは左側から)は普通、交差点での黄信号は、“全速で突っ切れ”のシグナルで、赤信号は“注意して渡れ”なのですから。

 だから、時たま映画で見るような激しい事故に出くわすことがあります。 私自身が目撃した事故では、町に入る道路を高速で走っていたクルマが交差点に近づいた時、信号が青から黄色になったのでそのまま突っ切ろうとしたところ、同じく交差点にかなりのスピードで近づきつつあったクルマが赤信号から黄色に変わったのを見てスピードを緩めず直進し、左手から来たクルマに激突し、横腹にぶっつけられたクルマはドアが衝撃で開き、運転していた男はクルマから振り落とされそうになったのを必死(これこそ必死です)に片手でハンドルにしがみついて、コマのようにスピンするクルマから振り落とされないようにして、ようやく一命を取りとめました。 このような事故はしょっちゅう起こっています。 でも、近年は、交通規則というか罰則が厳しくなり、罰金プラス免許へのマイナスポイント(20点で免許剥奪)の効果が効き出したようで、多少は交通規則が守られるようになったようですが、これもドライバーだけ。歩行者などは、減点も罰金も課せられないので、相変わらず交通規則無視でリスクにさらされています。 この国民的特質は、ちょっとやそっとでは変わりませんね。


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ブラジル雑学 その5 北東部の悲しい歴史 [ブラジル雑学]

『ブラジル大好きブログ』に、このようなテーマ(北東部の悲しい歴史)を書くのは少々
気が引けるような感じですが、実情だからやはり書いた方がよいと考えました。 
これは人間にも社会(国)にも当てはまると思いますが、全てが“Maravilha マラヴィーリャ(素晴らしい、素敵))”ではない、ということですね。悪い面も知って、なおそれでも好きになる... それが本当に好き(愛)ということではないでしょうか? あれっ、なんの話をしていたんだっけ?^_^;

さて、それでは今日はブラジルのちょっと良くない面を紹介します。

 ブラジル北東部(以下北東部と述べる)は、アマゾン地域の気候の影響(それは多分にアンデス山脈の気候にも大きく影響されているもの)とブラジル南部からの気候の影響(これはアルゼンチン経由の気候に影響)で、ここ数十年来、毎年旱魃が続いています。
そのため、この数十年というものは、北東部の人たちはサンパウロなどの大都会へ職を見つけ家族を養うために大量に出稼ぎに来ており、それは国内では“内国移民”と呼ばれるほどの社会現象をもたらしています。

 北東部というところは、本や新聞などで読む限り、農地にめぐまれてるところで、適度の雨さえ適時に降れば、ふつうの農業を営む北東人は問題なく自給自足生活ができるところなのですが、悲しいかな、この数十年と続く旱魃で何を植えても育たず、牛やヤギなどを飼っても牧草不足水不足からみんな死んでしまう状態で、ヘタをすると食糧不足から人間まで餓死してしまいます。
ちなみに、ブラジル国内においてもっとも乳児~子供の死亡率が高いのは北東部であり、亡くなった子供たちの死因は“栄養失調”と公表されているが、“栄養失調”とは“餓死”と同じ事なのです。
それほど生活条件の厳しいところで何十代となく住んでいる北東人は、例外なく小柄で痩せた体型をしており、これは厳しい環境条件に人間が適応した結果と見られており、このような北東人は栄養のたっぷりある食事をしても、我々のように肥満することはないそうです。

また、北東部には商工業は極めて少ないため、人々は生活の糧を得るために農業を営んでいるわけですが、ほとんどの農民が年間所得500ドルにも満たない極限状態の中で暮らしており、TVも映画も、極端な場合はラジオさえ持てない生活を余儀なくされる彼等は、そのほとんどが大家族であり、家族計画、避妊さえロクにしない彼等の家族は子供が15人18人という家族はざらです。その子供等も、先に述べた理由で満足な食事をとれず、病気にかかっても薬代もない、医者も病院もない場所であるため、多くが子供の時に死んでてしまうので、結局残るのは10人程度となってしまいますが、それでも貧困農家には育てるのが難しく、結局、満足に学校にも行かせれないで、親同様の貧困農民になるより他に生きる方法がないという悪循環となっています。

 米国のカリフォルニアは、百数十年の昔はブラジル北東部と同じように旱魃が激しい土地だったそうですが、政治家の努力で現在は世界有数の穀物地帯、果実生産地帯となっており、それを可能にしたのは灌漑設備であると言われています。ブラジル北東部の貧しさは、ブラジル帝政時代(17世紀~19世紀)から周知の事実で、時たま為政者は北東部に灌漑施設を計画したり、それらしい工事をやりかけたことがあったらしいのですが、いずれも本格的には実現してなく、北東部の貧しさは残念ながら現在も続いています。 ブラジルが近年、民主政治体制となってからは、心ある政治家は北東部の状況を改善しようと幾度か灌漑計画を立て少しは実施していますが、それさえも肝心の貧農の人々には恩恵を与えず、地方政治家に強力なコネ(政治献金や血族的つながり)のある大農場主や大牧場主などのみが独占し、大農場や大牧場には灌漑パイプが通り、青々とした牧草や作物が茂っているが、周囲にある貧しい農家には一滴の水さえないというところが多いのです。

 ブラジル政府は、この問題を解決しようと常に努力をしていますが、大農場や大牧場の持ち主である地元出身国会議員や地元市長、町長は自分たちの利益を守り増加することのみ専念して、これらの貧農を救うことを考えもしません(すべての政治家がそうという訳ではありませんが、北東部の政治家はほとんどがそうなのです)。 政府が北東部に差し伸べる経済援助や食料なども、その多くがこれらの政治家たちに横取りされ、彼等のいいように使われるだけというから驚いたものです。また、警察もこれらの政治家や地方ボスに都合のよいようにコントロールされているところが多く、摘発をやったり、農民運動を起こそうとする記者や農民リーダーは、雇われガンマン(殺し屋)に脅迫され、ひどい時は殺されてしまうというのが実情なのです。 まるで昔の西部劇のようですが、これは現在でも起こっていることなのです。

ブラジルの市民がもっと政治意識を高め、これらの社会問題を真剣に解決しようと決意しない限
り、北東部の問題は根本的に解決しないのではないでしょうか。 ブラジルにとって最も必要なのは、国民の教育レベルを高めることでしょう。近年の心ある政治家、前大統領のカルドーゾとか今のルーラ大統領(北東部出身で小学校しか出てない民間大統領)は、真摯になってこの問題を解決しようと努力している政治家であり、このような政治家がもっと多く出れば、北東部の問題も近い将来解決されると思います。

          (旱魃の続くブラジル北東部)

  (風光明媚な北東部の海岸地帯は、ブラジルでも有数な観光地域となりつつある)


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ブラジル雑学 その4 スシ&サシミ [ブラジル雑学]

  アメリカでは、日本食がずいぶん前からかなり人気だそうだが、ブラジルでも近年、日本食が大変なブームとなっている。 リオ・デ・ジャネイロ市でも、都心のオフィス街にある日本料理レストランは、昼食時にはブラジル人でいっぱいになるし、週末ともなれば家族連れで同じようににぎわう。
中には(最近の日本人顔負けに)上手に箸を使って寿司、刺身を食べるブラジル人も多い。

 ただ、(日本でも同じだそうだが)やはり寿司、刺身は高いので、誰でも簡単に食べれるというものではない。だいたい、日本食は普通のブラジル食の昼食の倍はするので、やはり、ある程度の収入をもらっている、サラリーマンとかOL(こんな言葉、日本ではまだ使っていますか?)なんかでない限りとても食べられない高級食である。
 こちらの日本料理レストランの中には、イワシとレタスを使った(?)ヘンテコな寿司を食べさせるところもあるそうだが、そんなのは例外で、ほとんどの日本料理レストランは、ちゃんとした寿司&刺身を食べさせてくれる。

 ブラジルの日本料理で面白いのは、こちらは寿司職人は、ほとんどブラジルの東北出身のブラジル人であるということだ。東北は工業も発達しておらず、メーン産業(?)は農業だが、その農業もここ数十年旱魃が続いているせいで、さっぱりである。収入が少ない(実際にはほとんどない)ということは、即、三度の食事にも事欠くということで、東北地方はブラジルでもっとも子供の(栄養失調による)死亡率が高いことでも知られている。「“栄養失調”と言う言葉は、正確には“餓死”と書くべきである」と厳しく指摘する識者もおり、 まったくもって、ひどい状況である。この東北地方の問題は、おどろくなかれ、かれこれ200年くらい続いているそうだ。

話しの本題に戻って、なぜ、それでは東北地方出身者に寿司職人が多いかというのは、一つには、やはり先に述べた、経済的理由で東北人が南部の都会に出稼ぎに来るということがあげられると思う。それと、もう一つは、東北の人は(日本の東北の人のように)辛抱強く、我慢強いからではないかと思う。それは、長年にわたり、旱魃等で食うものも食わず生きてきた人間が身につけたサバイバル術であろうか。 人によっては、東北人は手先が器用だから、という人もいるが、私はそうは思わない。また、私は直接、寿司職人と話したことはないのだが、寿司職人というのは、かなりの重労働だと考える。それともう一つ理由をあげるとすれば、東北人は十分な教育を受けられない(貧困の)ため、十分な教育なしでもかなり高給をもらえる職業として寿司職人になるのではないか。南部の方で生まれ育った者は、比較的かなりのレベルの教育を受けることから他の職業に就く機会が多いのだと思う。

というわけで、都会のブラジル人サラリーマン&OLは、東北出身のスシマンが握る寿司を毎日舌鼓をうちながら食べているというわけである。


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ブラジル雑学 その③ ピラニア [ブラジル雑学]

  このブログでは、以前、私のホームページに記載した『ブラジル雑学』を再び紹介しています。数年前に書いたものですので一応内容を見直して記載します。今回は、アマゾンの代名詞(?)であるピラニアです^_^;

  第六感といえば、ブルース・ウイリス主演の映画を思い出します。えっ、ピラニアと第六感と何の関係があるのか、と思う方がいると思いますが、それが大ありなのです。で、今回は、ピラニアの第六感の話です。

  ピラニア(Piranha=ポルトガル語ではピランニャと発音)といえば、すぐ、アマゾンを想像するくらい、ピラニアはアマゾンと結びついた名物となっていますが、“ブラジル観察学”(中隅哲郎著、無明舎出版←この本、ちょっと高いけど、大変面白い本です。ひょっとしたら今は手に入らないかも知れませんね)によれば、ピラニアはアマゾンの特産物ではなく、オリノコ河(ベネズエラ)にも生息しているそうですが、ピラニアの中で一番特異的なのが、パンタナール(ブラジル中央部の大湿地地帯)の黄色ピラニアだそうです。 アマゾンのピラニアは体型はうすく昼行性だけど、パンタナールのピラニアは、体型も厚く、鋸歯と強靭なアゴをもっており、大量の肉を噛みとれるようになっているそうです。

そして、この黄色ピラニアは、なんと、パンタナール水系のドミナンテ(優勢種)だそうです。ということは、このあたりの河では、この黄色ピラニアが絶対的な権力(サカナに権力もないものですが)というか地位を占めているというわけです(あ~、恐ろしい)。 そして、この黄色ピラニアは他のピラニアよりも鋭い鋸歯と強力なアゴにものをいわせて(?)、これで獲物の肉をガブリ、ガブリ、と食いちぎるそうです。

それにおどろくなかれ、このピラニアは第六感というか、アタックする獲物を見極める能力をもっているそうです。つまり、ピラニアは通常は河で泳いでいる人間とか、河を渡る動物とか、泳いでいる大魚とかはアタックしないそうです!ピラニアの生態とか習性とかを知らない私たちは、ピラニアと言えば、どんなものであれ河を渡ったり泳いだりするものに食いつくと思っていますが、そうではないというのです(驚き!)

たとえば、牛の群れが河を渡るとき、その中で弱っている牛とか、怪我をしている牛を見分けて(というか、そのような牛を察知して)いっせいにアタックするそうです。 モチ、おぼれている人間も同じ運命だし、釣られて暴れている魚も同じく、早くとりこまないと骨と頭しか残らないことになるそうです。どうして、このピラニアが泳いでいるものとおぼれているものを見分けるのか、どうして健康な牛と弱っている牛、あるいは怪我をしている牛を見分けることができるのかは、まだ分かってないそうです。

【教訓:ピラニアのいる河では、およぎのあまり得意でない人は泳がないこと。でないとおぼれていると勘違いされ、ピラニアのエサになる可能性あり】

後記:ところで、ピラニアの産地であるアマゾンやマット・グローソでは、ピラニアが市場などで売られており、地元の人たちにとって欠かせない食卓のメニューとなっているかどうかは知りませんが(ピラニアよりもおいしい川魚がたくさんありますからね)、ピラニア・スープは有名だそうですし、ピラニア料理を出すレストランもあります(^∇^)
また、ピラニア(Piranha)という言葉は、ブラジルでは“自堕落な女”という意味があることも知っておきましょう(~_~;)

               (写真はピラニア・スープ)


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ブラジル雑学 その② アマゾン [ブラジル雑学]

 前回は、アマゾンというタイトルをつけながら、アマゾンについて全然触れなかったので、今回はその埋め合わせです^_^;

 アマゾンといえばアマゾン河やパラー河などの大河があり、当然のことながら魚が豊富。したがって、やはり料理は魚かその他の川の産物が多い(はて、魚以外の川の産物ってあったけ?)。
魚といえば、ピラルクーという、なまず科の魚で大きいやつは全長5~6メートルになるとも言われている淡水魚が有名で、それを使った料理もありますが、私は生来サカナがあまり好きでないということもあって、いまだ試食したことがない。食べたことがあるのは川カニ。
実際は、川カニと呼んだ方がいいのか、泥カニと呼んだ方がいいのか分かりませんけど、このカニはマングローブの湿地帯に生息するカニで甲羅の幅が10数センチほどあります。
カニ料理レストランでこれを注文すると、茹でたのを10匹ほどお皿にごっちゃり盛って持ってきます。これを拍子木みたいなのでとんとん叩いて甲羅や足のカラを割って身を食べるのだすけど、もう食べごたえじゅうぶん、食傷するまで思う存分食べれます^_^;

そして、また値段がすごく安い。日本円にして、10匹で300円くらいの感覚でしょうか。いかにも庶民的な値段で、おいしいことも手伝って、週末になると、あっちこっちのカニ料理屋で、ここのテーブル、あそこのテーブルで友人同士、あるいは家族そろってトントン、トントン、カニを叩いて食べている光景は壮観とも言えます。週末には恐らく数百キロにものぼるカニが胃袋に葬られていることだろうと思います^_^;。

 そんな光景をいくどとなく見た私はフッと考えました。このまま泥カニの乱獲が続けば、数十年たったら泥カニはなくなってしまうことだろうと...

     (写真は泥カニとアマゾンの名ビール『CERPA』 Loby撮影)


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ブラジル雑学- アマゾン [ブラジル雑学]

 アマゾンと言えば、人はすぐ雄大なアマゾン川を思い浮かべる。
私自身はまだ残念ながら、実際にアマゾン川を見たことはないのだが、アマゾン川と同じく、大西洋にそそぎ込むパラ-川はかれこれ8回ほど見ている。アマゾン川は河口では向こう岸が見えない(距離100Kmという)というが、パラ-川はそれほどでもないにせよ、私がいつも船で渡るベレーン市あたりでは、向こう岸へわたるのに約40分ほどかかるから、距離にして30Kmほどになるのだろうか...

それにしても広く、水の色が茶色っぽいということと、普通は波が静かだということを知らなければ海と思ってしまう。ブラジルといえば、外国の方は、①アマゾン=未開地、②カーニバル/サンバ、③コーヒー(これはあまり品質がよくない)をすぐに思い浮かべると思うが、
都会は先進国にまけないくらいのハイレベルの生活があるし、テクノロジーの導入も進んでいる。ただ問題は貧富の差で、サンパウロ、リオ・デ・ジャネイロなどの都会とアマゾンあたりの落差は月とすっぽん、天地の差がある。
共通しているのは、全国どこでもポルトガル語で話せること、ブラジル人の楽天的、お人良さであろうか。また、ブラジルは美女の多いことでも有名である(ということは、反対に美男子も多い?)。ファッションの世界でトップ・モデルとして有名な女性の中にブラジル女性がかなりいるのは周知の事実であるが、彼女たちの多くが、ドイツ系、イタリア系であることを知る人は少ない。

 また、こちらの原住民と黒人、白人の血が混じったモレーナ(小麦色をした人)が、これまた美女(美男子)がめちゃ多い。背はそう高くないが、中肉中背の愛くるしい美女がゴマンといるのである。特にテンエージャーの美しさはバツグン。その一方、こちらは熱帯系で早熟なので、ふけるのも早く、ヘタをすると女性は30代後半で40歳くらいに見えるほどだ(その点は男も同じ)。 ブラジルは人種の“るつぼ”と言われるが、そのポジチブな面をよく見れるのがブラジルの社会だと思う。

 アマゾンと言えばアマゾン川。アマゾン川は河口が400キロあるという、世界最大の川ということで有名だが、地図を見れば(誰も持ってない?)分かるのですが、アマゾン河口には大きな島、セラミック手芸品で有名なマラジョー島があり、この島も変わった島で、実際の面積はよく分かってないという、ブラジルならではの話しだが、実際には、雨季と乾季で島の面積に大きな差があること(当たり前のこと?)と、また誰も(特に政府などが)真剣に面積を測ろうとしないの手伝って、どうせこんな大きな島、多少面積に差があっても消えはしないので(これも当前?)、面積なんかどうでもいいじゃないか、というところが本音らしい。
(一説では、マラジョー島は九州くらいの大きさがあると言われている)

 ブラジルといえば、日本人などはアマゾン、ピラニア、サンバにリオのカーニバルなどをすぐ思い浮かべ、とても暑く、熱帯には危険な猛獣がうようよといる、などと思っている方も多いと思うが、実際に熱帯的で暑いのはブラジルの北部の方だけで、南部の方の気候はかなり涼しいということを知っているだろうか?。ちなみに、最南部の方では冬には雪が降るところもあるのだ(エ~?ウッソーという声が聞こえそうです)。ブラジル各地の中で、気候的にもっとも平均的日本の気候に近いのが南西部および南部に所在するサンパウロ州、パラナ州でそのためか、この2州には日本人が密集(?)している。そのおかげで、日本食品は、どっちゃりあるし、日本の書籍もどっちゃり輸入されている(ちょっと値段は張るけど)。という理由から、我々日本人には大変住みやすいところとなっている。

          (写真はアマゾンのパラー河。撮影Loby)


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