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ショーロの話し♪ [音楽]

今日は久しぶりに朝から快晴
気持ちの良い日だったので、週末から体調がよくなかったこともあり、ウオーキングをやってなかったので、気分転換にちょっと歩いて見ました。
 
 

夏休みもそろそろ終わり… 

もうしばらくすると園児たちで賑やかになりそうな保育園の子供の家

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 この保育園のそばにある公立校(初等教育)では

 補充授業でもあるのか、2階の教室の灯がみんなついていました。

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 そして校門のところには

 巨大なダンプが

 何を積み込んでいるのでしょう?

 近づいて見てみると… 

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 なんと古くなった教科書でした[がく~(落胆した顔)][exclamation]

 

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 坂下には中等教育の公立校の門

 なんとなく水族館を思わせる壁画ですね 

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 ―∞―∞―∞―

 

 今日は少し趣向を変え『カリンニョーゾ』の紹介です♪

最初はマリザ・モンテとパウリンニョ・ダ・ヴィオラ(作曲家、サンバ歌手)のバージョン 





こちらはブラジルポピュラーソング界の美空ひばりとでも言える、エリス・ヘジナ(Elis Regina)バージョンのカリンニョーゾ。 

エリス・ヘジナは1982年にわずか36歳という若さで亡くなっています。惜しいことです。 



 

そして、ヤマンドゥー・コスタ バージョンののカリンニョーゾです^^

このギタリストの演奏を2008年に見たことありますけど、ものすごいギターの天才です。
(ヤマンドゥーさんはなんと7弦ギターを弾くのです[exclamation×2] 動画を見ればわかります[たらーっ(汗)]

 

 

ここで、雑学的に「カリンニョーゾ」についての説明をします。


カリンニョーゾが生まれるまで

『カリンニョーゾ』 はショーロ(choro)というジャンルのブラジル音楽なのですが、この曲がが世に出るまでには興味深いエピソードがありました。それは 『カリンニョーゾ』 を作曲したピシンギンニャ(Pixinguinha、本名Alfredo da Rocha Viana Filho 1897-1973年)はこの曲を1917年に作ったあと、なんと10年間も机の中にしまっておいたというのです。

その理由についてピシンギンニャは1968年に 『カリンニョーゾ』 がリオデジャネイロの「イメージと音楽ミュージアム」(Museu da Imagem e Som)に収められたときのインタビューで次のように語っています。

「オレは 『カリンニョーゾ』 を1917年に作曲したんだけど、あの時代にはみんなは二部形式のショーロでない曲なんか誰もショーロとして認めなかったんだよ(正式なショーロの形式は三部構成)。それで『カリンニョーゾ』を作ってからしかたなく10年間机の引き出しに放り込んだままだったんだよ」。

                                                       

Pixinguinha.jpg
若き日のピシンギンニャ




ピシンギンニャは当時20歳と若く、みんなに逆らってまで当時主流とされていたスタイルと違う 『カリンニョーゾ』 を発表しなかったということですね。

ピシンギンニャによれば、ショーロはポルカから派生した曲で、彼自身、 『カリンニョーゾ』 はスローテンポのポルカであると言明しています。しかしながら後ほど、ピシンギンニャは同曲をショーロと定義しなおしています。(少々ややこしいですね)
『カリンニョーゾ』 が最初にレコード録音されたのは1928年のことで、ピシンギンニャ&ドンガ・オーケストラによって演奏されたインスツルメンタル曲でした。

ジャズにあまり詳しくないある音楽評論家は「このポピュラーミュージックの作曲家は、どうやらジャズのリズムとメロディーに影響を受けているようだ。とくに最近それを強く感じる。この曲のイントロはフォックス・トロットそのものであり、それ以降のメロディーはヤンキーのポピュラーソングのミックスだ。ちっともわれわれの期待に応えてるものではない」と酷評しています。(Phonoarte誌1925年1月5日号)

『カリンニョーゾ』 は歌詞のないまま、このあと2回インスツルメンタル曲として録音発売されています。このように3回もレコード録音発売されたにもかかわらず、1930年代の半ばまでは大衆からまったく知られない曲でした。(まったくヒットしなかったということ)

しかし、1936年の10月にこの曲の運命を劇的に変える出来事が起きました。この月にリオデジャネイロ市の市立劇場で、当時、トップレディであったダルシィ・バルガス大統領夫人によって「パラダ・ダス・マラヴィーリャス(Parada das Maravilhas)」というチャリティ・ショーが開催されていて、友情出演をすることになっていた、女優であり歌手でもあったエロイーザ・エレナ(Heloísa Helena)が、自分の出演にふさわしい新曲を、と友人であったブラギンニャに依頼し、ブラギンニャはエロイーザさんの依頼を聞き入れ、 『カリンニョーゾ』 に歌詞をつけることにしたのです。

                  
カリンヨーゾが初めて歌われたリオ市立劇場
リオ市立劇場.jpg

「歌詞をつけることを決意してから、オレはすぐピシンギンニャを探したよ」とブラギンニャは当時をふり返って言います。
「ピシンギンニャはダンス劇場に出演していて、すぐに『カリンニョーゾ』の楽譜をわたしてくれたよ。翌日、歌詞をエロイーザさんに渡したら彼女はとてもよろこんでイタリア製のネクタイをくれたんだよ」
こうして、即興的ともいえる早さで名曲『カリンニョーゾ』の歌詞は生まれたのです。

この時を境に『カリンニョーゾ』はブラジル全国で愛され歌われる曲となり、MPB(ブラジリアン・ポピュラー・ミュージック)の大ヒット作品の一つとして数えられるようになりました。 ちなみに『カリンニョーゾ』は最初の歌録音が1937年にされて(歌手オルランド・シルバ)以来、現在までに200回以上録音発売されています。


                 ブラギンニャ(1907-2006)
                  noelrosa_braguinha.gif

歌詞一つで一曲の運命が変わるって本当に興味深い話しですね。

それにしても、こんなに愛情の表現たっぷりな歌なんて、やはりブラジルならでの話しだと思います。


 

ショーロについて 

ショーロ(Choro、Chorinhoとも呼ばれる)は、ブラジルのポピュラー音楽のスタイル(ジャンル)の一つである。19世紀にリオ・デ・ジャネイロで成立した。ショーロという名前は、chorar(ポルトガル語、「泣く」という意味)からついたと言われている。ショーロはアメリカではブラジルのジャズと称されることがあるが、即興を重視した音楽としてはジャズよりも歴史が古い。(Wikipediaより引用)


というわけで、かなり歴史のある音楽ジャンルの一つですが、サンバやボッサノーヴァのように世界的にはあまり知れ渡っていません。ショーロ(泣く)という名前はショーロの基本楽器である、フルート、ギター、カヴァキーニョ(ウクレレと似た小型4弦楽器)が奏でる旋律が人が泣いているような感じがすることからつけられたという説と、その昔、植民地時代のブラジルの黒人奴隷たちが楽しみにやっていたxoloと呼ばれるダンスパーティに起源があるという説の二つがありますが、多くの人は最初の説をとっているようです。

ちなみに、今回紹介した『カリンニョーゾ』はショーロの代表的な曲で発表当時(1930年代)から現代まで広くブラジル人たちに歌われてきた名曲です。カリンニョーゾとは、”愛情のこもった、心の温かい、優しい”という意味ですが、 『カリンニョーゾ』 の歌詞から見ると和訳は『愛あふれて』とでもした方がいいようです[るんるん]

              ピシギンニャ
         Pixinguinha_01.jpg


カリンニョーゾ


作曲:ピシンギンニャ 作詞:ジョン・デ・バーロ
日本語訳:Loby



ボクの心はあなたを見るたび

なぜだか高鳴る

ボクの目は微笑み

通りをあるく あなたを追う

でも あなたは 

まったく気がつかないふりして

過ぎ去ってしまう

 

ああ もしあなたが

ボクの心がどれだけ愛にあふれ 

あなたを求めているかを知ったなら

そしてどれだけ本気かに気づいたなら

そんなすげないことは二度としないでしょう


近く 近く 近く

ボクのそばに来て

そしてあなたの唇を求める

ボクの唇るの
熱さを感じて

そしてボクの心を食いつくすような

この熱い愛情を受け入れて

それだけで幸せになんだ

それだけで幸せなんだ

(くりかえし)


ポルトガル語のオリジナル歌詞はこちら

と、Lobyのヘボ訳でほんとうに熱い熱い、求愛のショーロ曲、

「カリンニョーゾ」の紹介でした。

 

今日もご訪問有難うございます♪ 

 


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あしあと 143

コメント 8

銀狼

この大量にダンプに積まれた教科書は、
一体どこへ行くんでしょうね?(・・;)
再生利用するための工場行きなのでしょうか?・・・
by 銀狼 (2012-01-26 00:35) 

サンダーソニア

演歌はあまり即興をこのまれない気がしますけど
歌詞は演歌に近いかもしれません。
ひばりさんは即興で変えることもあったと聞きます。

by サンダーソニア (2012-01-26 08:01) 

楽しく生きよう

どの国にも人の心に残る歌があるんですね。

by 楽しく生きよう (2012-01-26 08:30) 

Loby

>銀浪さん、100パーセント再生行きです。
 20トン積みくらいのダンプでしたから、ものすごい量になります^^;

>サンダーソニアさん、ピシギンニャは編曲の名人でもあったと言われていますので、この曲も即興で変えて演奏されたかも知れませんね。

>楽しく生きようさん、そうですね。ポルトガルにファドがあるように、ブラジルにはショーロがあります♪

by Loby (2012-01-26 09:39) 

駅員3

とても数奇な人生とでもいうような道をあゆんだんですね。
こんな背景を知って聞くと、また違った雰囲気の曲に聞こえてきます[わーい(嬉しい顔)][ハートたち(複数ハート)]
by 駅員3 (2012-01-26 12:37) 

青い鳥

ブラジルの公立校では教科書は貸与なのですか?
だから古くなった教科書をこの様な形で処分する必要があるのですね。
by 青い鳥 (2012-01-26 18:40) 

perseus

こんばんは。
フルート、ギター、カヴァキーニョ(ウクレレを想像して)から
『泣く』を連想させるというのは、その音色を考えるとものすごく
納得できるような気がします。
最後の歌詞は、まさに愛の情熱って感じですね^^
by perseus (2012-01-26 19:24) 

Loby

>駅員3さん、ピシンギンニャと彼の音楽のストーリーは、米国のジャズやブルースなどのそれを彷彿させますね。

>青い鳥さん、そうなんですよ。
 ただし、予算を有効利用するために、数年間使われます。そして傷んだものは再生に回されます^^

>perseusさん、こんばんは。
 実際にショーロを聴くと、その意味が分かりますね。
 まさしく「泣いている」ような旋律です。
 カリンニョーゾは、情熱の愛の曲、青春まっただ中の歌ですね。
by Loby (2012-01-26 20:04) 

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