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ブラジル日本移住100年を迎えて ➀ [考えること]

2008年は「ブラジル日本移民100周年」の年です。
最初の日本人移民791人(一説には799人)が、笠戸丸でブラジルのサントス港に到着したのが1908年(明治41年)6月18日です。
                   
      

ブラジルでは、1888年に奴隷制を廃止したため、コーヒー農園での奴隷に代わる労働力としてヨーロッパからの移民導入が始まりましたが、奴隷とほとんど変わらないという過酷なコーヒー園での労働条件は、ドイツやイタリアといった移民送り出し国の政府をして、「奴隷同然の移民送り出しには協力出来ない」と、移民を中止することもあったようです。
 こうして、労働力不足に悩んでいたコーヒー農園に契約されて入った日本人移民たちは言葉や文字にして表せないほどのたいへんな苦労をして、ブラジルで生き抜いて来ました。
以来百星霜。今日では150万人(推定)とも言われる日系人が、政治、教育、文化、医療、法律、金融などあらゆる分野で活躍をしており、日本人の特質である、誠実さや仕事熱心などを受け継いだ、その子孫である日系人たちは、ブラジル社会の中で大きな信頼を勝ち得ています。
また、その一部は、いわゆる”出稼ぎ”として日本で就労しており、その数も30万人に達すると言われています。

    初期の移民は契約農民としてサンパウロ近郊のコーヒー農園へ引き取られて行きました。
    移民のほとんどは定住ではなく,数年間の出かせぎと考えていました。
    斡旋業者も「コーヒー農園で数年間働けばひともうけできる」と宣伝し,移民を集めました。
    これが当時のブラジル移民宣伝ポスターです。
        


現在、ブラジルの日系社会でリーダーシップをとっているのは、ほとんどが日系2世か3世の人たちです(6世もすでに誕生している)。
俗に1世と呼ばれる、日本人移民は年々減少しつつあり、今でも各地の日系人集住地では、日本人会(文化協会と呼称されているところが多い)や日本各県からの出身者で構成・運営されている各県人会などでは今でもかなりこれらの日本人1世の活躍も見られますが、世代交代により、後を継ぐ人間不足で活動を減少しつつあるところも多いようです。

そんな中でも、比較的に元気がいいのが沖縄出身者とその子弟たちで構成・運営されている沖縄県人会のようです。 Loby自身は九州出身で地理的には沖縄に比較的近いものの、沖縄のことは本や雑誌などで知ったことや同県出身の知人や友人を通して知ることが出来たことに限られていますが、Lobyが見た限りでは、沖縄県出身の人たちはたいへん働き者であり、また連帯感が強いということです。
それは、決して他県出身者が働き者でなく連帯がない、ということではなく、それは他県出身者の中にも働き者はいるし、それぞれに連帯はあると思いますが、沖縄県出身者が働き者であるということは昔から評判だし、その連帯意識の強さがずば抜けているということも周知の事実です。

ブラジル日本移民移民の中で沖縄県出身者が占める比率は大きく ―ちなみに最初の移民船笠戸丸で来た移民の半数は沖縄出身者たちだった― その意味からも彼らの行動や活動はよく知ることが出来ますし、ブラジルの日系社会の中におけるポジションというか立場や影響力もそれなりに大きいし、尊敬されています。

ブラジルで長く暮らしていて、様々な人たちを知ったり交友したりした末にLobyが得た結論は、(ブラジルの)日本人は驚くほどの速さでブラジル社会に同化しつつあるということですね。 同じような現象は米国や他の国の日本移民の子孫たちの間でも起きていると思います。
同化 ― それは同時に日本文化を急速に失うことも意味しています。 ちなみに、現在、日本語教育を受けた1世やその子弟である2世をのぞいて、3世以降の日系人で満足に日本語をしゃべれる人はほとんどいないし、読み書きが出来る人となればこれはもうごくわずか。
Lobyが働いている会社でも、日本語の会話、読み書きが出来る人を去年から募集しているけど、まったく見つかりません。まあ、高級を払ったらそれなりの人は雇えるとは思いますけど、20代前半くらいでこちらの要求する日本語レベルを持っている人は皆無といっていいくらい^_^;

興味深いことに、他の国からの移民たち、たとえば韓国、中国(香港出身が多い)、アラブ、イスラエルなどの移民の子孫たちは、3世や4世の時代になっても彼らの間では自国語での会話が尊ばれ、会話はつねに自国語でされいるということです(沖縄出身者の子孫にもこの傾向性は強いようです)。 
これはやはり大陸民族と日本のように長年鎖国状態にあり、他民族の支配下になったことのない民族との違いでしょうか?
ヨーロッパやアジアのような大陸に住む民族はつねに他民族からの侵略などから自分たちを守るため連帯を強める必要があったし、他民族(国)との政治交渉や交易にあたっても自国に利益をもたらす交渉をするためには他の者には理解できない自国語で自分たちの意見をまとめたりする必要があったでしょうからね。
もとよりLobyは比較民族学なんて勉強したことないので、はたしてこの推論が他の国からの移民と日本人移民の同化スピードの差かどうかは分かりませんが、それにしてもブラジルの日本人移民の子孫たちが日本語の会話・読み書き能力を急速に失っていくのを見るのは悲しいことです。

こうして日系人が急速に日本文化を失って行く現象をLobyのように杞憂するする者がいる一方、新たな日本文化ブームが最近顕著になっています。 中でも急速に若者の人気を集めているのが漫画です。日本の漫画はそれなりに独特の文化をもち、子供から大人までという幅広いファンに支えられて、中でも人気のある漫画はTVのアニメシリーズになり海外にも輸出されて来たようですが、ブラジルの場合は、『聖闘士星矢(セイントセイヤ。1980年代に人気となった漫画)』)が1990年代頃から人気になり、続いて『ドラゴンボール』とか『幽々白書』なども人気になり(これらは比較的最近)、おそらく子供の頃にこれらの日本製のTVアニメを見て育った世代が今のブラジルの漫画人気を支えているのだと思いますが、現在、すでに立派なプロの漫画家がすでに多数いるし、漫画専門の出版社もあるくらいです。 ここで興味深いのは、漫画ファンは人種を問わず、つまり日系人だけに限らずブラジル人の若者の間たいへんなブームになっているということです。

日本食、とくに寿司の人気がブラジル人の中にかなり広がっているのは周知の事実で、有名なTVタレントがパーティをする時に寿司職人を呼んで招待客に寿司をふるまうというエピソードはかなり有名ですし、ブラジルではフランス料理や中華料理よりも日本料理(寿司)の方がブラジル人の間では人気があるのも事実です。まあ、これはある程度の経済力のあるクラス(中流)に関してのことですが。 寿司はこちらでもかなり値段がはるため、まだまだ大衆的なものとはなっていませんからね。
また、生け花、茶道などもかなりブラジル人を魅了しつつある日本文化です。

                      【 笠戸丸 】

             


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krause

ブラジル移民と日本人について(言語を伝承しない)について大変参考になりました。確かに、ブラジル以外の日本移民も中国などに比べ言語をきちんと教えない傾向があるようですね。
by krause (2008-01-07 03:10) 

Loby

Krauseさん、こんにちは。
日本人の同化スピードは愕くべきものがあります...
日本人一世が外国で当初は比較的に閉鎖社会を作り
生きてきたことから考えるとちょっと想像できないような
現象ですね。
by Loby (2008-01-10 04:29) 

Risa

こんにちは。
初めてコメントさせていただいています。

このポスター、すごいですね・・・!
これはLobyさんの持ち物なのですか?

恥ずかしい話ですが、私は、去年初めてブラジルに行くまで、ほとんど「移民」について知識がありませんでした。
あえて言うなら、ちょっと暗いイメージがあるような感じです。
でも、ブラジルに行ったことによって、1世から3世の方までお会いすることが出来、みなさんからいろいろな生のお話をお聞きすることが出来ました。

そうした経験は、私の持っていたつたないイメージを払拭するような、力強さや、新しさにあふれていましたし、日本の古きよき伝統の交じり合ったブラジル日本人社会の魅力を感じることとなりました。

移民100周年記念ではいろいろなイベントがあると聞いています。
ご成功お祈りしています!
by Risa (2008-01-12 02:44) 

Loby

Risaさん、ボンジーア♪
ブログ訪問&コメントありがとう(^.^)

あはは。このポスターはネットで見つけたものです(^^;;
ブラジルっていう国は、一度知ってしまうと虜になってしまう
魅力をもつ不思議な国です。

だから、ブラジルに来てブラジルを好きになって、それから
ブラジル人を好きになって、そのまま居ついてしまう外国の人が
多いんですよ。 だからRisaさんも要注意 _(^^;)ゞ

移民100周年。Risaさんのコンサートまた聞きたいですね♪
by Loby (2008-01-15 05:31) 

MSじゃっきぃ

Boa tarde Lobyさん、
去年、近隣の小学校の総合の時間に、ゲストティーチャーとしてブラジルと日本について(ネットで資料を集め)発表しました。
その学校には、児童の訳1割が日系ブラジル人で、子どもたちも熱心にお話聞いて、どうして日本に(自分の周りにも)ブラジル人が多いのかを理解したようです。
日本文化、Norteではまだ継承されているところもありますが、どんどん薄れていくのが残念です。


by MSじゃっきぃ (2008-03-20 14:34) 

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