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「終戦記念日」と「禁じられた遊び」 [日記]

 8月15日は67回目の「終戦記念日」ということで、今回は「太平洋戦争」に関した話題です。

「終戦記念日」は、日本では"戦没者を追悼し平和を祈念する日”とされており、歴史上、8月15日は「昭和天皇による終戦の詔書の朗読放送により、日本の降伏が国民に公表された日」となっています。(Wikipediaより)


                                     


最近、動画配給サイトで見た少々古い映画で『月光の夏』(1993年)という作品。

『月光の夏』は、実話などを元に創作した毛利恒之のドキュメンタリー小説で、題名の「月光」とは、ベートーヴェンのピアノソナタ第14番からとっているそうです。

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すでにご存知の方もいるかも知れませんが、ざっとあらすじを紹介すると、 佐賀県鳥栖市に住む主婦吉岡公子(渡辺美佐子)は、かつて教師として勤めた鳥栖小学校の、廃棄されることになった古いグランドピアノについて忘れられない思い出を持っていた-太平洋戦争の末期、当時としては大変高価で貴重なそのピアノの係をしていた公子(岩村麻由美)のところに、初夏のある日、かなり離れたか目達原基地からふたりの特攻隊員が訪れた。"明日にせまった出撃を前に、ピアノを弾きたい"と騒けてきたという。ともに学徒出身の音楽を愛する若者だった。音楽学校出身の隊員(永野典勝)は『月光』を弾くと、去ったきり二度と戻らなかった。

 

             月光の曲を弾く特攻隊員
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   国民学校の教師・生徒たちに別れを告げて去る特攻隊員
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この話は子ども達や先生たちに感動を与え、さらに新聞やラジオで報道されて市民のなかにも共感を呼び、"平和の記念碑"としてピアノは保存されることになった。
ピアノを弾いた特攻隊員は誰だったのか、その後どうなったのか。
-彼らは軍が学徒出身者をパイロットに急ぎ養成した特別操縦見習士官(特操)の出身者だった。熊本県阿蘇の村に生存していることが判明したそれと思われるピアノ教師の元少尉風間森介(仲代達矢)は、新聞記者の質問に「覚えていない」と何も語ろうとしない・・・・・・。

地元ラジオ局の石田りえ(石野実子)の依頼でこの出来事の取材に歩くドキュメンタリー作家の三池安文(山本圭)は、やはり生き残った石倉金吾(田村高廣)が大牟田にいると知って訪ね、特攻出撃したがやむなくひき返した者や途中不時着した者たちを過酷にも監禁した「振武寮」の存在を初めて知る。
公子は、三池や石田と共に、鹿児島県知覧の特攻平和会館を初めて訪れ、そこに掲げられた遺影のなかに『月光』を弾いた青年の顔を発見する…:・書薬学校出身の海野光彦少尉であった。
何ゆえに風間は当時の事情を語ろうとしないのか、事件の真実をもとめて三池と石田は風間を訪ねるのだが・・・・・・。 (以上、Wikipediaより引用)

       修復されたグランドピアノを弾く少女
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当時の女教師(故上野歌子さん)がその思い出を忘れられず、語り伝え、秘話はよみがえり、そして、地元九州を中心とした多くの人々の熱い思いを結集して映画が生まれた。
それが『月光の夏』である。作家の毛利恒之氏が原作・脚本を書き、『ハチ公物語』『透き落日』でヒューマンな感動を呼んだ神山征二郎氏が監督にあたった。 半世紀の歳月を越えて、一台のピアノと「月光」のメロディが語りかけてくる戦争犠牲者への鎖魂と平和への願い・・・・・・。それを日本中に知らせたいという九州各地の市民の熱意が一億円の支援金を集め、製作費の一端を担い、それを受けて「若者たち』『忍ぶ川』『優駿』などの製作でその良心的映画作りを知られる独立プロの雄、(株)仕事(旧俳優座映画放送株式会社)が、総力を挙げて製作したもの。(以上、Wikipediaより引用)



映画「月光の夏」のラストシーン





Valentina Lisitsaの演奏による「月光 第1楽章」



この『月光の夏』では、帰還特攻隊員の収容施設「振武寮」についても触れられています。
帰還特攻隊員とは、生きて帰ることのない特攻に出撃したものの、悪天候、機体トラブル、敵機の攻撃、または、心理的問題などから引き返した隊員たちのことで、この映画により振武寮の存在が明らかにされるようになったそうです。 
17歳という若い青年も特攻に飛び立って行った gecoutoccou.jpg


特攻隊員は一方向・一回限りの攻撃であり、その原則を崩すと隊員の士気に関わると考えた特攻隊の指揮官は、これらの帰還特攻隊員を他の特攻隊員から隔離しました。また死して軍神となったのに実は生きていたとなると大本営発表の虚偽が露見するところとなるため、一般軍人や一般市民からも隔離されたそうです。
陸軍の帰還特攻隊員は帰還の直後に福岡の司令部に出頭命令が下り、即座に振武寮にて事実上の軟禁状態に置かれ、振武寮における帰還特攻隊員の日々は反省文の提出、軍人勅諭の書き写し、写経など精神再教育的なものが延々と続けられました。死して軍神となるはずの特攻隊員が生きて戻ってきたことは激しく非難され、「人間の屑」「卑怯者」「国賊」と罵られたそうです。振武寮の目的は帰還隊員にもう一度死を覚悟させて特攻に赴かせるものであったともいわれ、隊員のなかには精神的に追い詰められ、自殺を図る者もいたといわれています。



DVD 月光の夏 と「ピアノは知っている―月光の夏」 (大型本)
     


『月光の夏』は涙なしでは見られない作品です。
Lobyも奥さんも何度も何度も涙を流しました[もうやだ~(悲しい顔)]。 ”国を守るため”、将来のある若者たちが、自分たちは安全なところで命令を出すだけの指揮官たちの特攻出撃命令で死んでいったのです。
特攻していく若者たちは、「天皇陛下万歳!」などと叫ばなかったといいます。
若い特攻隊員たちは誰もが「お母さん!」と叫んで死んでいったそうです。



ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ<悲愴><月光><熱情>
ベートーヴェン:ピアノソナタ「悲愴」「月光」「熱情」
演奏者:マウリツィオ ポリーニ


                                     



奇しくも今日、N◯Kで「終戦記念日」特集をやっていました。
その中で、昭和20年の8月15日の無条件降伏に至る前の時点で、日本政府には戦争の早期終結をする機会が幾度かあったことを見せていました。

その最期の機会、つまり、昭和20年6月22日に天皇が召集した最高戦争指導者会議の御前会議(出席者:鈴木貫太郎 総理、米内光政 海軍大臣、阿南惟幾 陸軍大臣、東郷茂徳 外務大臣、梅津美治朗 陸軍参謀総長、豊田副武 海軍軍令部総長)では、天皇から「時局収拾方(注:早期終結)について考慮する必要がある」、と示されながらも戦争を続け、広島、長崎両市への原爆投下(死者広島14万人、長崎7万人)、ソ連軍侵攻による多大な被害(死者30万人、抑留者56万人)というとり返しのつかない悲惨な結果をもたらしました。

番組の中で、ある海軍の高官が残した手記には、「日本の指導者リーダーたちの無為無策、感覚の愚鈍さ。」と書いてあったそうですが、まさしく愚かな指導者に率いられた国民ほど不幸なものはありません。 決断をとらなければならない時にとれないのは、"官僚主義、保身主義”のなせること、とコメンテーターが言っていましたが、ヒットラーに率いられたドイツも、ムッソリーニに率いられたイタリアも同じだったのでしょう。

日本の指導者の愚かさは、先の福島原発事故の対応時にも悲惨な形で証明されており、残念ながら"相変わらず”と言うよりほかありません。

一方、日本の借金、つまり長期債務額はGDP比で150パーセント(800兆円超)という危険なレベルにまで膨れ上がっており、このレベルは太平洋戦争に突入する前の日本の債務状態と同じだそうです。(日本の借金カウンターという興味深いサイトがあり、ここで日本の借金の総額と国民一人あたりの借金も分かります)



                                     



ここで『月光の夏』とは少し趣が異なりますが、今日のテーマである『禁じられた遊び』について少し述べたいと思います。この作品は、第二次大戦のおり(1940年)のドイツのパリ侵攻時に戦争孤児となった少女の目を通し、戦争の悲惨な現実と残酷さを描いたものです。



この作品の中でギタリスト、ナルシソ・イエペスが演奏したスペインの民謡「愛のロマンス」が大ヒットしたことから、『禁じられた遊び』といえばギター曲としてのみ有名で映画の方は忘れ去られてしまった感じなのは少し残念です。

「禁じられた遊び~アランフェス協奏曲」(ナルシソ・イエペス)
 と 名作「禁じられた遊び」DVD
  




クラシックギタリスト田部井辰雄氏による「禁じられた遊び」




                                     

 

ここで『月光の夏』の中に出てくる言葉を紹介して締めくくりたいと思います。


"ひとえに子どもたちに戦争を語り伝え、平和な世界でありたいと思う”

"生きているということは素晴らしいことだ”


”もう二度と戦争をしない日本”、”戦争のない平和な世界”を心から祈念して…
 
 

         

 今日もご訪問有難うございます♪

 
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コメント 23

なん太郎

「月光の夏」はテレビで特集していたのを見た記憶が蘇りました。
戦争関連の映画は涙なくしては観れないものが多いですね。
Lobyさんの解説で「月光の夏」は私も観たくなりました。紹介さ
れている言葉は深く噛み締めたいですね。

それと、個人的には特攻隊員の遺書や遺影を見るたびに、戦争を
二度と起こしてはならないとの思いに駆られますね。今年はまだ出
かけていませんが、8月中に関連施設に出かけて先の大戦につい
て再考する時間を持ちたいなとは思っています。
by なん太郎 (2012-08-16 07:39) 

asty

昨日、テレビでは「私は貝になりたい」が放映されていました。
「月光の夏」も含め、戦争の悲惨さを伝えるものは たくさんあるのに
知られていない事が多いと思います。
長崎では原爆の日に、「平和教育」が各学校で行われます。
先日、ある若いお母さんが言いました。「平和教育は子供の頃は
義務感でやっていたけれど、自分が子供を持つ身になって、その悲惨さに
胸が痛み涙がでます。いま子供はわからないかもしれない、でも私のように大人になればわかる。だから、大人は伝えなければと思います」と。

その通りだとおもいます。
わからなくても伝え続けることが大切であり、こういう映画を若い人達に
見てほしい、見せてやってほしい、と思います。
「命の重さ」を考える機会を子供達に...と痛切に感じますね。


by asty (2012-08-16 07:50) 

Silvermac

私も間違えましたが、正式には「終戦の日」とよばれています。
by Silvermac (2012-08-16 08:05) 

PopLife

作者の意図が今となっては余りにおお粗末?で、
涙した人ご免なさい、
今現在何一つとして個人的にコアな問題を抱えてない方には
楽しめるのかも?と言った印象にしか受け止められない
やな私でした。ではまた。ありがとうございました。
by PopLife (2012-08-16 09:24) 

rabbit

8月15日・・・終戦の日、67年の歳月が過ぎました。この日が何の日か知らない世代が多くなり、寂しくなります。

過って特攻の町「知覧」を訪れた際に、明日の希望のない特攻隊員たちを親身になってお世話し、多くの隊員たちを家族に代わって見送り、特攻の母と慕われた「鳥濵トメさん」という方が当時経営していた食堂・旅館で隊員たちの心の拠り所となっていたところに宿泊させていただき、お孫さんから、トメさんが生前中に話していた戦争の悲惨さと平和の大切さを聞く機会があり、今も心の中に大切にしております。

平和な時代を生きる幸せに感謝しています。

by rabbit (2012-08-16 11:54) 

駅員3

月光の夏…観たことがありません。
機会を作って観てみます。
by 駅員3 (2012-08-16 12:10) 

雪花

戦争を体験したお年寄り達は、生きて帰ったことを悔やみ 辛い体験を後世に語り継ぐ事が指名と思っている方が多いように思いました。
今では、語り部も随分と少なくなられたことでしょう
67年経過した今でも甲子園では原爆が投下された日に黙祷を捧げています。
私も平和な世界である事を祈っています^^


by 雪花 (2012-08-16 13:32) 

hnhk

>日本の指導者の愚かさは、先の福島原発事故の対応時にも悲惨な形で証明…

おっしゃるとおりだと思います。
半藤一利さんの著作中に、特攻を命じた側が責任を取らなかったことに憤りを感じる旨の記述があったのを思い出しました。
今の日本の政治の無責任さの原点は、こうした戦争責任をスルーしたことにあるような気がしてなりません。
by hnhk (2012-08-16 15:02) 

yutakami

LobyさんのこうしたBlogのご執筆も重要な次の世代へのメッセージになっている、と思いました。
お疲れ様です。
有難う存じます。
by yutakami (2012-08-16 18:42) 

heroherosr

振武寮の管理者だった軍人は、特攻隊員に「お前たちだけを死なさないで、最後には自分も後を追う」と言って送り出しておきながら、戦後ものうのうと生き抜いたという下の下の軍人ですよ。
by heroherosr (2012-08-16 18:51) 

Loby

>なん太郎さん、そうですか。TVでも特集をやったのですね。
 当時かなり注目を浴びた作品なので当然、特集も組まれたでしょうね。
 是非、レンタルででも見られることをお勧めします。

 戦争はどんな理由があるにせよ起こしてはなりません。
 しかし、現実には戦争のない時代というものはなかったのも事実です。
 やはり根本は思想でしょうね。”自国の権利を守るためなら”という大義名分で権力者たちは戦争を起こしています。この思想を変えなければ戦争はなくなりませんね…

>astyさん、「私は貝になりたい」も一種の反戦映画なのですね。
 この作品の名前は聞いたことがあります。機会あれば是非見たいと思います。
 広島、長崎の原爆記念日の慰霊祭の様子もTV放送されていましたね。
 長崎での「平和教育」、たいへん重要なことだと思います。
 戦争や原爆の悲惨さは、子どもたちへ伝えて行かなければいけませんね。そういった意味で、証言集や映画などはたいへん重要な資料だと考えます。

>Silvermacさん、そうですか。有難うございます。

>PopLifeさん、『月光の夏』に関しては、色々と批判もあるようですが、要は”戦争は二度と起こしてはならない”というメッセージではないでしょうか? そういった視点から見れば得るところは大きいと思います。

>rabbitさん、現在の若者のほとんどは、歴史を知らなすぎます。
 やはり、戦争や原爆の悲惨さを伝えていく努力を忘れてはいけないと思います。
 知覧にそういう歴史的に重要な役割を果たされた方がいたのですか。
 そういう方のお話も、何らかの形で証言集として残して頂きたいですね。
 戦争は二度と起こしてはなりませんね。

>駅員3さん、是非ご覧になって下さい。
 
>雪花さん、私たちは”戦争を知らない世代”です。
 でも、我々の親とか知人、親戚などには”戦争体験世代”がいるわけですね。彼らが体験した戦争・原爆の悲惨さを、”孫たちの世代”へ伝え残していくのも私たち世代の使命だと考えます。
 平和ほど尊いものはありませんね。

>hnhkさん、残念なことに、”無責任”、”愚か”、”無能”な指導者たちが日本を動かしているのです…
 ここのところを投票権を持つ国民はよく考えなければならないと思います。
 戦争も、特攻隊も、実際の責任者は罪にも問われずにのうのうと生き延びたようです。国民はもっと厳しい目で政治を監視する必要がありますね。

>yutakamiさん、いえいえ、私はただこの作品が伝えんとしているメッセージをブログで紹介しただけです。
 拙文を読んで頂き、有難うございます。

>heroherosrさん、振武寮の責任者の話しも読みました。
 ほとんどの戦争責任者、軍部上層部はそんな連中がほとんどだったようです。そんな連中に国の運命、我が父兄子の運命を委ねた、というのが最大の悲劇と言えるのではないでしょうか…


 
 
by Loby (2012-08-16 22:05) 

麻能

今年3月に亡くなった祖父は、戦争に行った1人でした。
あまり祖父の口から当時の事を語られることはなかったですが、年をとってから時々色々話してくれました。
でも本当に辛いことは、行った人だけにしか分からないと思います。
戦友会の集まりは特別だったようで、その時しか話せないことがあると言っていました。

でも戦友会も、7年前くらいで終わってしまったんです。
敬老会と違って、メンバーが増えることはないですから、他界された方が増えて集まらなくなってしまったんですね。

祖父たちのおかげで今の日本があることに感謝しなくてはならないと思います。



因みに私、古い映画もかなり好きで禁じられた遊びも見たのですが…
最後の「ミシェル!」と呼ぶ声が可哀想でなりませんでした。
by 麻能 (2012-08-16 23:20) 

MILK

こんばんは(^^)

鹿児島の知覧特攻平和会館に行った時
立ち尽くしてしまって
動けなくなった事を思い出しました。

特攻隊員の残した手紙は
確かにお母さんに宛てたものが
沢山…たくさん…

仮にも私も
母とよばれる立場にあります。
胸が張り裂けそうでした。

悲劇は決して
繰り返してはなりません。
そのためには
一人ひとりが努力していかねばですよね。
by MILK (2012-08-16 23:21) 

Loby

>麻能さん、ご祖父も戦争に行かれたお一人だったのですね。
 TVの戦争関連特集番組など見ても、生存者の方たちは、あまり戦争経験を語られないですね。
 きっと耐え難い苦しみ、悲しみを体験されたので、そんな記憶を思い出したくない、というお気持ちが強いのでしょうね。
 でも、戦争を二度と起こさないためにも、次の世代にきちんと伝えるのも、戦争を経験した世代、そしてその人たちの子である我々の使命だと思います。
 
>MILKさんは『月光の夏』に出てくる、知覧特攻平和会館を訪問されたのですね。 私も出来れば訪問したいと思っています。
 映画の中でも、特攻隊員たちの遺書が紹介されていましたが、圧倒的に”母への想い”が多かったです。
 そして、”自分たちの死が愛する人(家族)を守ることになる”という気持ちですね…
 ある人が、戦争でもっとも悲しみを感じるのは母だ、と言っていました。
 だからMILKさんも彼女たちの悲しさを同感したのでしょう。
 悲惨な戦争を二度と起こさないために、私たちは努力していかなければなりませんね。 

by Loby (2012-08-16 23:46) 

くるめっち

こんばんは(^v^)
「月光の夏」は観たとこないので、機会があったらぜひ観てみたいと思います。
戦争映画では「プライベートライアン」「プラトーン」などを観て涙ボロボロになった記憶もありますが、戦争の悲惨さを語り継ぐ方々も少なくなった今、こういった実話に基づいた映画やドラマ、小説などで、戦争の悲惨さを伝えるとともに、みんな同じ地球上に住んでいる家族なんだということを、伝えていくのは、戦無派、戦後派といわれている、平和になった国に住んでいる、私たち大人の義務ではと思っています。

私の父は私が4歳の時に脳腫瘍でなくなっているのですが、戦時中、名前は分かりませんが、日本戦艦のコック長をやっていて、ネズミや蛇、トカゲなど何でも料理したようです。
終戦後に運よく戦火を逃れて、帰国したものの、栄養失調で痩せ細り、長患いの末、39歳という若さで、母と、私を含む3人の子供を残して、
最後まで悔しいの連発で亡くなったと、母から聞きました(-_-;)

どうしたら今戦争している国々の戦いをストップさせ、平和を取り戻せるのでしょうか(。;_;。)地球が存続する限り、永遠の課題で終わってしまわないよう、先陣を切ってくれる人が現れることを信じています。


by くるめっち (2012-08-17 00:58) 

mimimomo

おはようございます^^
映画は全然知らないです。
指導者層が今も変わらないというのは同感です。
国民は不幸ですね。
by mimimomo (2012-08-17 05:43) 

Azumino_Kaku

こんにちは、
先日、熊谷の近くの陸軍飛行訓練場跡地にお邪魔して、特攻隊員を送り出した整備兵の方のお話を直接伺う機会がありました。
広島や沖縄などもそうですが、貴重な戦時中のことをご存知の方たちが高齢化していて、このまま放置すると、次世代に、この経験が継承されないのではと危惧しました。

by Azumino_Kaku (2012-08-17 06:08) 

kuwachan

おはようございます。
何があっても戦争という悲しい出来事を二度と繰り返しては
いけないと思います。
私の父は戦争で中国に行き、幸いなことに戻って来たので
今ここに私がいるわけですが、父の弟(私から言えば叔父)は
中国で戦病死したそうです。その死は私の祖父(叔父の父)に
とっては非常に悲しいことであったとは思いますが、遺族年金が
祖父には支払われており、祖父が亡くなった時にそれを見て、父が
「ツヨシ(叔父の名前)はある意味親孝行だったよな・・・」とポツリと
言ったのが今でも心に強く残っています。
最近は終戦(敗戦)記念日前後にしか戦争の話はされませんが
この時期だけでも過去の悲しい出来事を振り返り、風化しないように
しなければなりませんね。

by kuwachan (2012-08-17 06:54) 

Loby

>くるめっちさん、こんばんは。
 素晴らしい作品です、是非レンタルででも借りて観てください。
 くるめっちさんの言われる通りだと思います。
 戦争を知らない若い世代に、戦争や原爆の悲惨さを伝え、二度と起こらないようにするのが私たちの義務だと思います。
 
 くるめっちさんのお父様も戦争でたいへんな苦しみを体験された方なのですね… そのあげくにご病気で早逝されて、お母さまもお子様たちも本当にたいへんな思いをされたのですね。
 戦争さえなければ、ご一家は違った、よりよい運命を歩まれていたことでしょう。
 戦争はよくないと言われながら、国家という名前のもとで今も世界のどこかで行われています。戦前は国際連盟、戦後は国連がありますが、戦争の抑止にはいたっていません。
 やはり、根本的には”平和の思想”を世界中に市民ベースで広げていくよりほかないようです。

>mimimomoさん、おはようございます。
 この映画は私も知りませんでした。偶然見つけて観たものです。
 指導者は今も昔も愚かな者ばかり…
 そういう指導者をもつ国民は不幸ですね。

>Azumino_kakuさん、こんにちは。
 それはたいへん貴重なお話を伺うことができましたね!
 おっしゃる通り、そのような貴重な体験や証言を後世に残し、戦争や原爆の使用が二度と起こらないようにしなければなりませんね。

>kuwachanさん、おはようございます。
 まったく同感です。いかなる理由も戦争を、原爆の使用を正当化しませんね。
 kuwachanさんのお父様も中国でたいへんな体験をされたのですね。
 それに叔父様は中国で戦死…
 お祖父様とお祖母様はたいへん辛い、悲しい思いをされたことと思います。 
 二度と軍事力をもたない、とされた日本も世界有数の軍事力をもつようになりました。おまけに隣国である中国や韓国とは領土問題などで、いつ軍事的行動をとらないとも限りません。
 ”いかなる理由があろうとも戦争は絶対に起こしてはならない”というメッセージを強く若い世代に伝えていくのが私たちの義務だと思います。


by Loby (2012-08-17 10:19) 

vientre-dolor

今までありがとうございました。^^
by vientre-dolor (2012-08-17 16:05) 

rtfk

こんにちは^^)
ここ数年中国や韓国とのやりとりを見ていると
なんだかマズイ方向へ向かっているような気がします。。。
歴史は繰り返す・・・そのフレーズがこだまします。
しかしそれは私がマスコミやネットを通じて入手した情報を根拠に
そう感じているだけであり実際は違うのかも知れません。
平和憲法も存在していますから。。。
しかし与野党ともに保守的なメンバーは憲法改正を
目論んでいるやも知れませんね。。。

by rtfk (2012-08-17 16:05) 

Loby

>vientre-dolor さん、こちらこそいつも訪問頂き、有難うございました。
 将来、もし、ブログを再開された折には、ふたたび楽しく意義あるブログ交流をしましょうね♪

>rtfkさん、こんにちは。
 日本のニュースは最近フォローしはじめたばかりですが、私も同じように感じます。中国や北朝鮮、はたまた米国などとの外交関係、突発する事件への日本政府の対応には大きな疑問をもちます。
 日本政府はどうも”近視眼的”思考で外交や問題解決にあたっているような気がするのは私だけではないでしょう。
 ”器の小さい”指導者をかかえる国民の不幸なのでしょうね…

by Loby (2012-08-17 22:11) 

カリメロ

伝える事の大切さ!
幼いから、難しいからでは無くて、今は分からなくても繰り返し伝えていく事に意味があるのだと思います。
何年に何が起きたかの歴史の勉強ではなく、
過去を知りそこから何を学び、今後に生かしていくのか!?
過去を検証し、二度と同じ過ちを起こさないようにする事が大切なのに、この国は事後責任を取ることが下手なので、過去から学べず同じ事の繰り返しばかりですね。
我が子には、私が祖父母、両親から聞かされた話をしっかり伝えて行きたいと思いますし、このような映画、資料等を見せ、しっかり考えれる子に育って貰いたいと思います。

by カリメロ (2012-08-18 17:46) 

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