SSブログ

ロンドン五輪:素顔のヒーローたち? [日記]

ロンドン・オリンピック、いよいよ白熱化していますね。

体操は、内村航平が見事に念願の[ぴかぴか(新しい)]メダルを獲得!
団体戦も男子は銀メダル!

オメデトウ!

 


utimura_kin.jpg


ちなみに男子体操の[ぴかぴか(新しい)]28年ぶりだとか。
これを契機に、体操ニッポン、ふたたび蘇ってほしいです。

柔道は女子78キロ超級の杉本美香選手が怪我を押しての健闘で見事に銀メダルを獲得しましたね!
杉本選手、よく頑張ってくれました!このメダルに匹敵するメダルです[ぴかぴか(新しい)]

 

suguimoto.jpg

 


女子サッカー、  なでしこジャパンは第3戦で南アフリカと0-0でドローし、今日行われた決勝トーナメント準々決勝でブラジルと対戦しましたが、見事に2-0でブラジルを破り準決勝への進出を決めました。

正直な話し、Lobyとしては   なでしこジャパンを応援するかブラジルを応援するかでかなり迷いました。試合開始後はブラジルがペースを握った展開となり、 なでしこジャパンはデフェンス体制のようで少々心配しましたが、27分にブラジルのデフェンスの隙をついて先取点をとって(この時、大声で

ゴール!
と叫んでしまいました[たらーっ(汗)])からは流れがすっかり変わり、後半にも1点を入れ、2-0で完勝しました。

 

  なでしこジャパン、次は対フランス戦です。この勢いでもって準決勝も勝って欲しいですね。 

  

brasil_maketa.jpg

 



 なでしこジャパンと言えば、関連するニュースを探していたら、

「なでしこジャパンがエコノミークラスでロンドン入り。男子はビジネスクラス。」というニュースに唖然としました。この待遇の差の問題は、英国メディアでも大きく報じられ、デイリー・メール紙は「性差別ではないか」、「ガーディアン」紙は、「(なでしこは)東日本大震災後の日本に希望を与えたにも関わらず、男子との待遇に差がある」と厳しく批判。

 

いくら男子チームが金を稼ぐからといって、このようにあからさまな差別を平然と行う日本のスポーツ団体(この場合はサッカー協会)の体質に、同じ日本人として恥ずかしい思いです。

日本サッカー協会は男子がビジネスである理由を「体格の違い」などと説明しているそうですが、まったく噴飯物です。願わくは、今回のオリンピックで見事な試合を見せて、日本サッカー協会のお偉方たちを見返して欲しいものです。

                                                
 



今日はロンドン・オリンピックの"ヒーロー”たちの、"必死の顔”、"闘志満々の顔””思わず出ちゃった表情”特集をお届けします♪

リトアニアの卓球選手(いくで~え!)
  litonia)takkyu.jpg

フィージーの重量挙げ選手
  fiji.jpg

ロシアのアナスタシア選手(こ、こわい!)
  Anastasia-rosia.jpg

日本の寺本明日香選手(う~んしょ!)
  Asuka Teramotosensyu.jpg

ドイツのホッケー選手 (お歯黒ではありません)
  doitu_kusahokkey.JPG

米国のラーソン選手
  Breeja LarsonUSA.jpg

アンゴラの選手につかまれて悲鳴をあげるクロアチアのハンドボール選手
  handoboru.jpg

後ろからのシュートに驚くガボンの選手 (これは驚きますよね)
  gabon-mexico.JPG

重量挙げの北朝鮮選手(舌をかまないようにね…)
  kitatyoucen1.jpg

マリア・シャラポワ選手の強烈な打ち返し(”これでも喰らえ!”)
  sarapova.JPG

息をとめて反撃にかかる日本の石川佳純選手
nihon_isikawasensyu.jpg


男子バレーボール、ブラジルチームはロシアを3-0で下し、Bグループのトップになりました。
1時間23分という短い時間でしたが、ロシアを相手に大熱戦! たいへん見応えのある試合でした。

 



                                                


略史-ブラジル日本移民 

今回から2回に分けて、ブラジル日本移民の歴史を紹介していきたいと思います。 


            

  ブラジル日本移民の歴史は1908年6月18日、最初のブラジル移民船、笠戸丸がサントス港に到着した時に始まった。 笠戸丸は神戸港から出航、52日間の航海の後781名の農業契約移民と12名の自由移民たちがサントス港に到着した。彼らは希望と成功の夢を胸に抱いて、言語、習慣、気候のまったく違う国に着いたのだった。

移民前史


日本は1908年に最初の移民をブラジルへ送りこんだが、最初にブラジルの土地を踏んだ日本人は彼らではなく、1773年に日本沿岸で暴風雨のため遭難し、長い漂流のあとロシア領のアリューシャン列島アンドレヤノフ諸島の小島にたどり着き、島民に助けられた若宮丸乗組員の生存者たちだった。若宮丸の乗組員たちはイルクーツクで8年間すごしたあと首都ペテルスブルゴに連れて行かれ皇帝アレクサンドル一世に謁見した。 若宮丸生存者のうち4人は皇帝の計らいで日本へ送還されることになり軍艦2隻で出航した。ロシア軍艦は航海途中で暴風に遭遇、一隻が破損したため1803年の12月20日にブラジルのデステーロ港(現在のサンタ・カタリーナ州フロリアノポリス市)に修理のため寄航し翌年の2月4日まで滞在した。この4人の日本人は当時のブラジル人の生活や農業などの貴重な記録を残している(注:環海異聞)。また、若宮丸の乗組員の後にも1867年の開陽丸のリオ寄港等、幾人かの日本人が笠戸丸移民の前にブラジルを訪れている。
日本人移民が正式にブラジルに受け入れるにあたって、まず最初に必要なのは日本とブラジル両国間の国交銃率であった。 国交樹立に向けての正式な両国の折衝は1880年11月16日、清国との通商条約締結の帰途、日本に立寄ったブラジル海軍のアルトゥール・シルベイラ・ダ・モッタ少将(後のバロン・デ・ジャセグァイ)と日本外務省の間で日伯通商条約について話し合われた。しかる後、1895年11月5日には日伯修好通商航海条約が締結され、フランスのパリで日本側全権曽弥荒助とブラジル側全権ガブリエル・トレード・ピザ・エ・アルメイダによって正式調印され、1897年に相互の公使館開設となった。


ブラジル移民のはじまり

kasatomaru.gif
サントス港の笠戸丸

 両国間における協定締結準備中の1892年10月5日、ブラジル政府は法令第97条を発令し日本及び中国からの移民受け入れを承認した。
1894年、日本政府はブラジルのバイア、リオ・デ・ジャネイロ、ミナス・ジェライス、サンパウロ4州の調査に農商務参事官根元正(ねもと・しょう)を送りこんだ。 根本正は調査の後、ブラジルは日本人移民受け入れに適した国であるという報告書を日本政府に送った。これを受けて日本政府は、1897年に最初の日本人移民をブラジルに送り出すべく準備を進めていたが、コーヒーの国際価格暴落により、雇用主となるはずであったコーヒー園主たちが契約を破棄したため移民送り出しは延期となった。
1907年にブラジル政府が移民・植民地法を発令することによって、移民受入れを必要とする各州それぞれが最も適切な条件で移民を受け入れることが可能となった。また同年11月、後年、「移民の父(*)」と呼ばれた水野龍は、サンパウロ州のカルロス・アルーダ・ボテーリョ農務長官と交渉し、3年間に3千名の日本人移民を就労させる契約を州政府との間に取り付けた。サンパウロはジョージ・チビリサ州知事時代。かくして1908年4月28日、水野龍の移民会社(皇国殖民会社)を介した、最初のブラジル移民は笠戸丸に乗って日本を出発し、6月18日のサントス港到着によりブラジル移民の歴史の第一歩が踏み出された。
(*)水野龍が殖民会社を興して日本人移民に正確な情報もあたえずに半ば騙した形で移民させたことからブラジルの日本人たちは非常に怒り、そのため彼を「移民の父」と称することには異議を唱える者も多いということを付記しておく。


初期の移民たち



  笠戸丸でブラジルに到着した793名(*)の日本人移民たちは、サンパウロ州の6つの農場にそれぞれ配耕さたが、そこでは厳しい現実が待っていた。たとえば、ドゥモン農業商会が経営する農場に入った日本人移民たちは、労働条件の悪さに2ヶ月ももたずに逃げ出してしまった。その他の農場も似たりよったりで、数ヶ月もしないうちに大半の日本人移民たちが農場から逃げ出していった。日本人移民たちが直面した労働条件の悪さとは、コーヒーが老樹で収穫量が少なく、重要な収入源であるコーヒーの実の収穫賃金が移民会社で聞いたものより大幅に少ないというのが大きな原因であった。
 その他にも住居や食事の事情が想像以上に劣悪なものであったとか、言語習慣の違いから農場側との意思の疎通を欠いたなどという理由も脱耕、退耕(注:耕地を逃亡したり、協議して退去すること)の原因であったと思われる。契約を反故にして逃げ出す日本人移民はさらに増加し、1909年9月の時点では最初の契約で雇用された農場に残ったのは僅か191名に過ぎなかった。 (*)笠戸丸で来た793名の内、自由渡航者12名は、契約移民ではないので農場には配耕されていない。

 笠戸丸移民の失敗原因は、殖民会社の経験不足、誇大宣伝、資金不足、それに不誠実さであった。笠戸丸移民の悲劇は詳しく日本政府にも伝わり、このため、第2回移民の送り出しは政府から拒否され、皇国殖民会社は倒産した。このような経緯から第2回移民が日本を発ったのは2年後の1910年であり、新しい殖民会社によって募集された906名の移民を乗せた旅順丸は同年6月28日にサントスへ入港した。サンパウロ州奥地の農場へ配耕され、先着の笠戸丸移民同様に風習等の違いなどで適応にたいへんな苦労を強いられた。ちなみに、モジアナ線のジャタイ農場に配耕された移民たちは、前述の笠戸丸移民と同じ問題のため全員が農場から追い出された。旅順丸移民も1年も経たないうちに脱耕、退耕は200名以上に達した。
日本政府は、旅順丸移民の不業績を理由に再びブラジル移民を一時見合わせ。第3回移民が送り出されたのは1912年。再び政府許可をとった殖民会社は、厳島丸で1400名をブラジルに送った。これ以降、第4回移民船の神奈川丸(1912年6月サントス着。1412名)、雲海丸(1913年5月着。1500名)、若狭丸(1913年5月着。1588名)と続々と日本移民が新天地に到着しはじめた。時の経過とともにこれらの日本人移民たちはブラジルの風習に慣れるようになり、それとともに農場側との紛争も徐々に減少し、コーヒー農園での仕事も長続きするようになった。

1900年頃のサントス港

2port_santos.jpg

 一方、パラナ州の入植は1912年に始まり、最初の入植者は福島県出身の一家族。この一家はリベイロン・クラーロ町のモンテカルロ農場に配耕された。さらに同年8月、107名の日本人移民がミナス州の金鉱山で働くためブラジルに到着した。ブラジルの日本人移民史の中で、金鉱山で働いた日本人移民は彼らが最初で最後だった。

サントス港到着後の初期移民たち

2santos.jpg

 

自営農業への推移-植民地の建設


 日本人移民で最初に自営農業を始めたのは6家族と言われており、彼らはブラジル政府のモンソン植民地計画のおかげで、1911年、ソロカバーナ線セルケイラ・セーザル駅奥に土地を購入して自営農として独立することができた。ちなみに、日本人移民では最初に綿作を始めたとされている。
(注:最初に自営農業を始めた家族数については諸説があるがここでは半田年表の6家族説をとった)

さらに1912年3月には、サンパウロ州南部のイグアッペ地方で、日本の殖民会社と州政府の間で締結された植民地契約に基づいて州政府から提供された土地に日本人移民たちが入植した。イグアッペ地方にはレジストロ、桂、セッテ・バーハスの3植民地が生まれ、この3植民地の総称がイグアッペ植民地と呼ばれた。また、ジュケリー(サンパウロ市近郊)にもグァタパラ農園での契約を終えた10家族が土地を購入して植民地を作った。ジュケリーには以後、日本人移民の入植が増え大きな日本移民植民地となった。同じくサンパウロ市近郊のヴィラ・コチアにも1914年頃から日本人移民の入植が始まり、バタタ(じゃが芋)栽培者の増加などにより、日本人大集団地を形成することになる。なお、ヴィラ・コチアには後年、ブラジルにおける日本人移民史上有名なコチア産業組合が誕生する。

 

 

    コーヒー園での労働(コーヒー豆収穫)
2cafezal.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1914年には、サンパウロ州で働く日本人移民は約一万人に達していた。一方、サンパウロ州政府は、日本人移民のコーヒー農場定着率が悪く、渡航費も高いということを理由に日本人移民の船賃補助を打ち切ることを決定し、移民会社に通知した。日本人移民に対する船賃補助打ち切りは1916年まで続いたが、第一次大戦の影響でヨーロッパからの移民が途絶えると州政府は再び日本移民受入れを開始し、1917年、若狭丸による1300名の到着で日本からの移民が再開したが、やがて州政府は1922年に再び日本人移民への船賃補助を打ち切ることになる。 また、この時期(1915年頃)に日本人移民の歴史でもっとも悲惨なエピソードが起こった。それはカフェランジアの平野植民地で六十数人の日本人移民がマラリアで亡くなったことである。(注:他の熱帯性伝染病という説もある)しかし、すでにブラジルに移住していた移民たちによる新しい植民地の建設は続いた。


サンパウロ州の奥地は次々に開墾されていった
2kaikon.jpg




 

 

 

 

 

 

 

 

開墾のあとにはコーヒーの木や綿が植えられた(写真は綿の収穫)

2imin.jpg






 

 

 

 

 

 

 

州政府による日本人移民への船賃補助打ち切りにより、ブラジル移住の道は閉ざされたかに見えたが、1924年の日本政府による「ブラジル移民の船賃全額 補助」決定により移住は拡大に向かうことになる。その後、日本政府は船賃補助のほか、道府県別に海外移住組合とその連合会の設立を主導し、ブラジルにおけ る大型移住地建設に必要な資金融資を始めた(注:海外移住組合連合会の現地ブラジルでの事業推進のため、ブラジル拓植組合(ブラ拓)が創設され、これによ り、チエテ、バストス、トレス・バーハス植民地などが建設された)。またこれに先だって、長野県をはじめとする4県がアリアンサ移住地建設に着手してい る。さらに日本の実業界有志や拓殖事業家たちも植民地建設に続々と参加し始め、これらの上昇機運的な背景を反映して、以降のブラジル移民は大幅に増加し、 ブラジルにおける日本人移民社会はやがて興隆期を迎えることになる。

泥壁と茅葺き屋根の家に住んだ初期移民たち
imin_house.jpg

 

 

 

 

 

 

 

イグアッペ地方と思われるバナナ園の日本人移民一家

2bananal.png

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

注:契約労働者(コロノ)として数年働き、もうけて帰ろうと考えていた者たちが、なぜ自営農への道をたどったのか。コロノでは徹底所期の目的を達することは不可能と知って、当時売り出されていた、バウルー以西の原始林を目ざし自営農となり、金をもうけての帰国ストラテジーに切り替えたからである。コロノ移民の大勢は、ノロエステに始まり西部を目ざしたことにふれることが必要。リーダーがいて造成された植民地、移住地は特殊である。

《 続く 》


参考資料:
「ブラジル日本移民80年史」 日本移民80年史編纂委員会
「移民の生活の歴史」 半田 知雄 著
「ブラジル日系社会 百年の水流」外山 修 著
「環海異聞」

日本語訳 Loby (2008年)
 
訳者注:「略史-ブラジル日本移民参考文献」は2008年のブラジル移民100周年の際に、「História da Imigração Japonesa no Brasil(ブラジル日本移民の歴史)」を訳者が翻訳したものに上述の資料を参考に追加補足(画像含む)したものです。                                       【無断コピー及び転載を禁じます】 


今日もご訪問有難うございます♪
 
 
家庭用浄水器の人気ブランド『クリンスイ』が
新発売した屋外でも使用できる携帯型浄水器



あしあと(268)  コメント(34)  トラックバック(0) 

あしあと 268

コメント 34

なん太郎

やった~!今回こそは念願のあしあと一番乗りのようで
感涙です(笑)。ついに金メダリストとなりました!(と、わけの
わからんことを言ってますが、頭は正常です・笑)

それにしても、難しいお立場でありながら(笑)、日本のなでしこ
始め日本選手の応援ありがとうございます。Lobyさんの熱気も
伝わってきました。それと、お顔の写真ですがよく集めましたねえ。
楽しませて頂きました。

ブラジル移民の歴史は実のところ何も存じ上げていなかったので、
勉強になります。力作ですね。何でもそうでしょうが、初期の頃の
人の苦労は相当なものだったんでしょうね。
by なん太郎 (2012-08-04 06:12) 

himanaoyaji

前に書きましたかね、祖父がブラジルへの移民です、
母はブラジルで生まれて日本へ帰国しています、
いとこはブラジルへ嫁に行きました(今は帰国しています)
by himanaoyaji (2012-08-04 06:36) 

kaz

”素顔の”というか”素の”決定的瞬間ばかりよく撮れてますね~^^;
正に「形相」という表情ですw

by kaz (2012-08-04 08:06) 

もーもー

オリンピック日本がんばっております
  なでしこジャパン   そうだったんですか  知らなかった――
 そんな  差別を   なんで・・・・・
   頑張れ日本
by もーもー (2012-08-04 09:20) 

さらまわし

「何とか協会」(サッカーだけでは無く)の方々の考えは古くて固い気がします。
なでしこジャパンほど日本に元気をくれたチームは無いのに、残念な話しですね。
by さらまわし (2012-08-04 10:49) 

cocoa051

このところ寝不足状態です。
by cocoa051 (2012-08-04 15:35) 

seawind335

「なでしこジャパンがエコノミークラスでロンドン入り。男子はビジネスクラス。」。。。この話は不覚にも知りませんでした。
本当に残念で、恥ずかしい話です。(-_-;)
by seawind335 (2012-08-04 18:29) 

PATA

今晩はバトミントン女子ダブルス決勝がありますね。
楽しみです。
選手の皆さん、表情豊かですね。
それにしてもなでしこがエコノミーで、男子がビジネスって・・・。
あからさま過ぎませんか?いやな話ですね。
ブラジル移民のお話、勉強になりました。
by PATA (2012-08-04 21:01) 

hnhk

学生の頃、移民と戦前の沖縄との関係について少し勉強したことがあるので、「ブラジル日本移民の歴史」を興味深く読ませていただきました。
今では、逆に、日本で日系ブラジル人の出稼ぎの方をよく見かけますが、なんとも言えない気分になったりします。
次回も期待しています!
by hnhk (2012-08-04 21:21) 

Loby

>なん太郎さん、一番乗り有難うございます♪
 もう少しお若ければ五輪出場も可能であったかも知れませんね^^

 女子サッカーは、はじめなでしこジャパンが押され気味だったので
 ハラハラしましたが、デフェンスを主体としながらも相手チームの
 隙をつく戦法が当たったようで、お見事!と賞賛するしかありません。
 
 ブラジル移民にせよ、日本人移民の話しというものは、ほとんど日本人
 には知られていない、というのが実情です。

>himanaoyajiさんもブラジルに縁が深いのですよね。
 お母さまがブラジル生まれということは、オヤジさんもポルトガル語がわかるかも?

>kazさん、本当に”生の素顔”ですね。
 極限に近い集中力、体力、気力を必要とするスポーツは、やはり選手も
 必死の形相となるようです。

>もーもーさん、まったくうれしいことです!
 なでしこジャパンは、日本サッカー協会の差別・偏見にも負けずに
 けなげに戦っています。フレーフレーなでしこ!

>さらまわしさん、そうでしょうね、”一事が万事”といいますから、これは日本のスポーツ界(相撲もふくめて)の体質というものでしょう。
 可哀想なのは一生懸命やっている選手たちですね…

>cocoa051さん、毎晩明け方近くまでご苦労様です!

>seawind335さん、いえいえ、私も偶然見つけただけです。
 それにしてもひどい差別です。サッカー協会は恥を知れ!
 と言いたくなります。

>PATAさん、おお、今日はバドミントンダブルス決勝戦ですか!
 日本、勝って欲しいですね。
 なでしこの件は、まったく恥ずかしい限りです。
 日本はスポーツ界も教育界も(政治も)変革が必要ですね。

by Loby (2012-08-04 21:35) 

だいず

日本を応援するかブラジルを応援するか
Lobyさん的には、複雑ですよね(^^;)
このまま、なでしこにも頑張ってほしいです♪
by だいず (2012-08-04 22:24) 

青い鳥

>「なでしこジャパンがエコノミークラスでロンドン入り。男子はビジネスクラス。」
そうだったのですね、知りませんでした。
選手の強化費の使われ方、待遇の差(管理栄養士をつける・つけない等)、
数え上げればきりがないくらい色々な問題があるみたいです。
移民の歴史、大変な力作ですね。
勉強させて頂きます。
by 青い鳥 (2012-08-04 22:45) 

mie

『笠戸丸』、北原ミレイが歌っていた『石狩挽歌』にも出てましたが、
三重県で、『鳥羽ぶらじる丸』として展示されているころ見ました。

by mie (2012-08-05 06:42) 

Silvermac

ナデシコがブラジルに勝った後のそちらの反響は如何でしたか。
by Silvermac (2012-08-05 08:27) 

春分

たくさんの時間と努力が歴史をつくるわけだなぁ。
そんなことを柔道の様子とサッカーの様子を見ながら思いました。
移民100年と聞くと44年ぶりのベスト4の44年の重さも感じます。
まあそんなおかしな感想はそう多くないかと思いますが。
by 春分 (2012-08-05 10:56) 

caterham_7

TVの番組で在日ブラジル人の人が「サンバもサッカーもブラジル人が教えたから強くなったんだよ!」と言っていました。
ブラジルに感謝です。
by caterham_7 (2012-08-05 16:36) 

MILK

今夜、内村航平選手の床の演技がありますね♪♪♪

私の家、彼の実家の割と近くでして…
彼の演技は幼い頃から見てますので
とても嬉しく思います(^o^)
うちの子供達も、彼のお母さん…周子先生に
体操を習っておりました(^^)

ブラジル移民のお話
こうして伺っていると
ブラジルがとても身近に感じます

Lobyさんのおかげですね(*^_^*)
by MILK (2012-08-05 19:05) 

ダミアン88

こんにちは
なでしこJAPANは、かりにも世界大会で優勝してるんですから
その反対のパターンはあっても、これは無いですね
このお話を拝見し、驚きました
by ダミアン88 (2012-08-05 19:07) 

Loby

>だいずさん、まったく悩みます^^;
 でも、やはりなでしこは実力ありますね。
 試合開始直後の心配も懸念ですみました^^b

>青い鳥さん、まったく恥ずべきことです。
 これほどまで差別するとは、信じられません。
 日本のスポーツ界はもっともっと改善しなければなりませんね。
 移民の歴史は、要約したものです。
 実際は、たいへんな苦労・差別の連続でした。

>mieさん、笠戸丸が鳥羽ブラジル丸?
 Wikipediaには、笠戸丸は第二次大戦でソ連海軍によって撃沈されたとありますので、何かの間違いではないでしょうか?

>Silvermacさん、ブラジルのマスコミはそれほど大きく取り上げていません。みんなの関心は男子サッカーですので。

>春分さん、歴史というものは、いつの時代も、汗と血とで書かれるものですね。勝者によって書かれた歴史は真実を曲げていることが多いですけど、民間人によって書かれた歴史は真実に近いようです。

>caterham_7さん、そうですね。サッカーもサンバもそうですけど、一方、ブラジルで盛んな柔道、空手などの武術、それにカラオケやコスプレは日本人が教えてあげたのですよね^^b

>MILKさん、内村選手、やりましたね!
 柔道は今ひとつでしたけど、体操は雪辱できた感じす^^b
 
 MILKさんのお家が内村選手のご近所?
 それなら、なおさら嬉しいですね!
 内村選手のお母さまも体操を子どもたちに教えておられるのですか。
 まだまだ将来に内村選手の後を継ぐ者が出そうですね♪

 ブラジル移民にせよ、移民の歴史は日本人にあまり知られてない
 ので、これを機会にみなさんにご紹介して、少しでもブラジルの
 日本人のことを知って頂きたいと思います。

>ダミアン88さん、こんにちは。
 あれだけ東日本大震災でも貢献したなでしこに対する、このような差別、まったく恥ずべきです。マスコミなどでももっと大きく取り上げて、日本サッカー協会を批判してほしかったです。



by Loby (2012-08-05 21:57) 

くるめっち

こんばんは(*´▽`*)♪
日本の男女サッカーの活躍は凄いものでした!
もう、TVにくぎ付けで応援しました♪
特になでしこJAPAN・・・女性の活躍に私たちは元気と勇気を貰いました(^v^)b
こんな差別待遇があるなんて、日本にいるのに知らなかったです・・・日本のマスコミは報道していたんでしょうか??

ブラジル移民のお話はまだ少ししか読んでないですが、ゆっくり読ませて頂きますね♪
by くるめっち (2012-08-06 00:10) 

沈丁花

ブラジル移民の歴史ゆっくりじっくり読ませて頂きます。
凄く興味があります〜始まりは…大変だったと思います。
by 沈丁花 (2012-08-06 04:33) 

mie

大変失礼しました。
指摘されるまで、ブラジル移民のパビリオンになっていた「ぶらじる丸」が、
「笠戸丸」だとばかり思っていました。
by mie (2012-08-06 05:35) 

moumou

Lobyさんの立場だとこういう時にどちらを応援するか悩みどころですねえ。
日本では金メダルの数が少ないとか男子柔道が金取れなかったとか騒いでいます。柔道はもうなんか昔の日本が始めた柔道とは全く別物になっていますね。あの審判には笑ってしまいますが。
ブラジル移民のお話し、北海道移民もそうでしたが先駆者は本当大変だったんですよね。その苦労の上に更に苦労を重ねて今があるような。

by moumou (2012-08-06 05:46) 

Loby

>くるめっちさん、こんばんは。
 日本のオリンピック出場サッカーチーム、すごい活躍でしたね!
 柔道が振るわなかった分、サッカーが”救いの神”になっているようです。
 でも、柔道はベストを尽くしたのですから、よく頑張った!と褒めてあげなければ。
 ナデシコの差別については、日本のマスコミはまったく報道してないようです。相手が日本サッカー協会なので遠慮しているのでしょうね。
 ブラジル移民の歴史を読んでいただき、有難うございます。

>沈丁花さん、有難うございます。 
 略史ですので短く纏めていますが、どのようなものだったかご理解いただけると思います。

>mieさん、いえいえ、勘違いは誰でもすることです。
 
>moumouさん、そうなんですよ。
 でも、男子サッカーであれば、これは絶対にブラジルを応援しますけど、
 女子はナデシコを応援したいです。
 オリンピックの精神は”参加すること”でしたよね?
 その精神も失われつつあるようです…


 
by Loby (2012-08-06 08:59) 

rtfk

お早う御座います^^)
ロンドンオリンピックは時差の関係で睡眠不足に
陥っております。。。(^m^)
移民の歴史 知らないことばかりで自らの不勉強さを
思い知りました。。。
次回も楽しみにしております^^)

by rtfk (2012-08-06 10:52) 

kuwachan

こんにちは。
連日オリンピックで睡眠不足状態です(^^ゞ
でも見逃せません。今夜はまたなでしこです(笑)
移民のお話、テレビドラマで見たことがありますが
実際はドラマ以上のご苦労があったことと思います。
by kuwachan (2012-08-06 12:36) 

Azumino_Kaku

こんにちは、
ブラジルでも、先人たちの勤勉さが移民の歴史を切り拓いてきたわけですね。


by Azumino_Kaku (2012-08-06 12:57) 

perseus

こんにちは。
日本の選手、本当によく頑張ってくれていますね。
内村の金メダルはさすがでした^^
職場でもみんな睡眠不足で見ているようです^m^
by perseus (2012-08-06 12:59) 

イヴママ

日本選手頑張ってますよね。
感動します。
by イヴママ (2012-08-06 15:21) 

macky

内村選手の種目別 床の演技~
演技後の内村選手のガッツポーズに私もガッツポーズしていました♪
美しい体操に感動しました☆  すばらしい銀メダルでしたね♪
by macky (2012-08-06 17:06) 

リキマルコ

なでしこがエコノミーなんてやってくれますよね・・・(-0-;)ああいうところの日本の偉いさんたちは叩かれないと気づかないんですよね!!(ちょっと別件でもイラッときてまして・・・すみません、あほか!と最後に言いたいくらいです・・(^^;))
by リキマルコ (2012-08-06 20:33) 

Loby

>rtfkさん、おはようございます。
 そうでしょうね。日本の皆さんはたいへんですね。
 次回もリオデジャネイロなので12時間差となりますよ^^;
 移民の歴史は日本ではほとんど知られてないと思います。
 
>kuwachanさん、こんにちは。
 みなさん寝不足になっておられるようですね^^;
 今日はなでしこ!これは見逃せませんね。
 いよいよ決勝戦進出がかかる試合というわけですね。
 ぜひとも勝って欲しいです。
 戦前移民の歴史は”悲惨”という言葉がぴったりします。

>Azumino_kakuさん、こんにちは。
 ブラジルでも米国でも、先人たちの言葉で言い表されない辛酸な
 苦労の歴史があります。

>perseusさん、こんにちは。
 まったくよくやってくれています。
 その努力に報いるためにも、政府も各スポーツ協会も、
 もっと選手たちを支援して欲しいですね。

>イヴママさん、スポーツはこうでなくてはね!
 負けても勝っても参加したことに意義がありますね。

>mackyさん、本当に素晴らしかったですね。
 私も拍手を送りました^^b
 たいへん価値ある銀メダルです。

>リキマルコさん、まったく言い訳のない差別です。
 あれだけ活躍し、みんなに希望をあたえているのだから、
 サッカー協会も、もっと優遇してあげるべきです。


by Loby (2012-08-06 21:56) 

asty

選手たちの顔、すごいショット、楽しませていただきました(^^
日を追うごとに盛り上がってるような気がしますね。

笠戸丸の事は知ってはいても、苦労したらしい...位にしか
知りませんでした。 大変な歴史があったのですねー。
先人たちの苦労の上に今があるんですねー。
by asty (2012-08-06 22:49) 

Loby

>astyさん、オリンピック、ますます面白くなってきましたね!
 日本の選手たちもがんばっているし、なでしこジャパンは勝ち進んでいますね♪
 日本移民は、どこの国でもたいへんな苦労をされています。
 今回のは略史ですが、少しでも移民のことを知って頂ければ幸いです。

by Loby (2012-08-08 00:27) 

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。