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いくら雨が降っても... [日記]

 昨日の昼過ぎから降り始めた雨は、一晩中降り続いていました。
今朝になって少し小降りになったけど、まだ降っています^_^;
連休で出かけた人たちには、気の毒ですね。

さて、今日のニュースでは、昨日、例のアパレシーダ・ド・ノルテ市の聖母マリア像を参りにアパレシーダの大聖堂につめかけた人たちは、なんと1万6000人に達したとか! もう、凄い人数ですね。 なんでも、夕方に行われたミサには4万5000人が参加したと言いますから、この数字も凄いです。 敬虔な信徒の方たちは、雨が降ろうが、天気が悪かろうが、なにごとも信仰心を妨げるものはないということですね。 
       (写真はミサに参加した信徒で超満員となった聖堂のホール)

アパレシーダの大聖堂でのミサは日に数回行われ、夕方5時のが最後ですが、日曜までにず~っと毎日数回のミサが行われ、この期間中にアパレシーダ・ド・ノルテ市に出かけた人たち(100パーセントがカトリック信徒)は必ずこのミサに参加し、各個人の悩み&問題の解決を願って祈ったり、誓いをしたり、または、願いが叶ったことへのお礼をしたりします。

        (今日は昨日よりマシな写真を見つけました)

          

興味深いのは、信徒さんの中には、アパレシーダの大聖堂に行くのに苦労すればするほど願いが叶えらる可能性が大きいと考えている人もいることで、徒歩で数十キロ、数百キロ歩いて来たなんていうのはざらで、作らせた大きな木の十字架を何百キロも引きずって来たという人などもあり、その熱心さにははなはだ感心します。 今週も、ある消防士が友人の回復(事故か病気。よく覚えていません^_^;)を願って、なんと200キロもひざまずいて歩いて来た(というか這って来た、と言うほうが正しいのかな?)と、ニュースで紹介していました。

まあ、こういう苦行というのは、日本でも昔は修行者などが滝に打たれたり、インドなどでも修行者が釘いっぱいの板の上で座禅を組んだりとかありましたね。これらの修行は、精神を統一するとか、邪念や煩悩を払う目的が主であって、願い事が叶うためのものではないのですが...

まあ、カトリック教というのは、神に願い事をして、その恩恵を受けるということを教条としていますから、ここでは上に述べたような苦行をする人は尊敬の目で見られます。 ただ、問題は、カトリック教の教えはいわゆる他力本願だから、ヘタをすると自分では何の努力もせずに、いつも神とか他の人が何かをしてくれる(願い、希望を叶えてくれる)のを待つという悪習慣に陥る可能性もあるわけで、こういう考えを信条として生きていると、進歩のない、受身的な生き方になってしまうリスクがあります^_^;


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