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世界最大のカーニバル近づく! その② [ブラジル雑学]

前回の続きです 

 歴史的には、ブラジルのカーニバルはこの時代を境に二つの流れに分かれることになります。
ひとつは上流階層が劇場やホテルの大広間などで催す、高級シャンペンを飲み、花を投げあい、華麗な仮面舞踏会、仮装行列、華やかに飾りつけられた山車(カーロ・アレゴーリコ)などに代表されるハイレベルのカーニバルであり、もうひとつはマラカツ=maracatu(打楽器を打ち鳴らす行列)、コルドン=cordão(踊りのグループ)、フレヴォ=frevo(テンポの早いカーニバルダンス)、トゥロサ=troça(どんちゃん騒ぎ)、そしてストリート・カーニバルやエスコーラ・デ・サンバなどに代表される庶民的なカーニバルです。つまり、ブラジルにおけるカーニバルの歴史は、普及し始めた時にすでに社会的格差を如実に示すイベントとなっていたわけです。

カーニバル・パレードで先頭に入場するコミッソン・デ・フレンテの見事な演出は見ものです
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カーニバル音楽

 さて、ブラジルにおけるカーニバル誕生までの歴史をざっと見たところで、今度はカーニバルとは切っても切れないカーニバル音楽について見てみましょう。
ブラジルのカーニバル音楽として有名なのは「マルシンニャ=marchinha」と呼ばれる、マーチ調の曲です。マルシンニャが生まれるまでは、エントゥルードにせよ、カーニバルの仮装舞踏会にせよ、ワルツ、ポルカ、タンゴ、マシシェ、チャールストンなどの外国の曲が使われていたのです。

初めて純ブラジル製のカーニバル向けの曲が作られたのは1899年で、シキンニャ・ゴンザガ=Chiquinha Gonzaga(1847―1935 作曲家、本名Francisca Edwiges Neves Gonzaga)が作曲したマルシンニャ『アブレ・アラス』(Abre Alas)で、この曲は記録的なな大ヒットとなり、3年連続でカーニバルで歌われました。〔注:アブレ・アラスとはカーニバル・パレードで各エスコーラ・デ・サンバの先頭に入場する10人程度のダンス・グループのこと〕。かくしてマルシンニャは1930年代から1950年代にかけて全盛時代を迎えることになります。

シキンニャ・ゴンザガ
 
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1920年代に大人気となったシキンニャ・ゴンザガのMarchinha曲
 








マルシンニャは、明るく楽しい曲でダンスホールであれ、街の中であれみんなから歌われ親しまれたカーニバル曲ですが、この音楽は現在、サンパウロやリオデジャネイロのカーニバル・パレードで各エスコーラ・デ・サンバが使う「サンバエンヘード」(Samba Enredo)とはちょっと違います。
マリシンニャがダンスホールなどで誰でも参加できるカーニバルで使用される曲であり、ブラジル人の日々の生活に即した内容の歌であるのに対して、サンバ・エンヘードはカーニバル・パレードに出場する各エスコーラが、その年の各エスコーラのテーマに合わせて作詞作曲したものであり、これは”法令によって”ブラジルの歴史や自然などに限られた内容のサンバ曲であるということが義務付けられています。
ちなみに、enredoとはポルトガル語辞典を引くと『小説・戯曲の筋』とあります。つまり、サンバ・エンヘードとは”サンバで綴る物語”という意味になるわけですね。
なので、どのエスコーラ・デ・サンバも、かならずあるテーマにしたがった物語をエンヘードで歌います。
エスコーラ・デ・サンバで最初にサンバ・エンヘードを採用したのは、一説ではリオのポルテーラといわれています(1930年代)。




2009年度のリオのポルテーラ・チームのサンバ・エンヘード






また、ブラジルで最初のエスコーラ・デ・サンバが誕生したのは1928年で、「デイシャ・ファラール」(Deixa Falar)と名づけられたサンバチームは翌年1929年に(Deixa Falar)初パレードを披露し、ついで1930年、1931年にもパレードに参加、1932年にはリオの新聞社がブラジルで初めて開催したカーニバル・パレード・コンクールにも参加しています(出場人数約5千名)。
エスコーラ・デ・サンバ「デイシャ・ファラール」は、現在のエスコーラ・デ・サンバ「エスターシオ・デ・サー」の前身です。
この時期以降、リオデジャネイロ、サンパウロの両市でもって数多くのエスコーラ・デ・サンバが誕生し、それぞれ各市のエスコーラ・デ・サンバ連盟に属し、毎年華麗なカーニバル・パレードをくり広げることになるのです。





カーニバルのカーロ・アレゴーリコ(山車)の進化


1919年のカーロ・アレゴーリコ

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1923年のカーロ・アレゴーリコ

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1937年のカーロ・アレゴーリコ

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1969年のカーロ・アレゴーリコ

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現代のカーロ・アレゴーリコ

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現代のカーロ・アレゴーリコ

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現代のカーロ・アレゴーリコ

現在のアレゴリコ.jpg





エスコーラ・デ・サンバ




 ここでもう少し”エスコーラ・デ・サンバ”について説明します。
エスコーラ・デ・サンバがサンバ同好会のようなサンバ・チームであることはすでに説明しましたが、このチームに所属する人たちの多くは、(リオの場合)リオデジャネイロ近郊の、通称ファヴェーラ(Favela)と呼ばれているスラム街に住んでいる人々です。
リオではこのエスコーラ・デ・サンバのパレードはサンボドロームというサンバパレード用に作られた全長1000メートルのスタジアムで行われますが、ここで行われるサンバ・パレード・コンテストで、毎年、エスコーラ・デ・サンバがお互いに華麗なパレードを競いあい、審査員により、下記10項目について厳格に審査されるのです(各項目の最高点数は40点)





採点基準(10項目)




[1] バッテリア=BATERIA(200名程度からなる打楽器隊の演奏)

[2] アルモニア=HARMONIA(リズムと歌と踊りのハーモニー)

[3] サンバエンヘード=SAMBA-ENREDO(テーマ曲の歌詞と曲)

[4] エヴォルソン=EVOLUCAO (踊り)

[5] ファンタジア=FANTASIA (衣装)

[6] エンヘード=ENREDO (パレードのテーマの物語内容)

[7] コミッソン・デ・フレンテ=COMISSAO DE FRENTE(パレードを先導する10名程度の演出グループ)

[8]アレゴリアス・エ・アデレソス=ALEGORIAS ADERECOS(山車と装飾)

[8] メストレ・サラ&ポルタ・バンデイラ=MESTRE-SALA E PORTA-BANDEIRA(旗を持った女性とエスコートする男性の踊りと調和)

[1][0]コンジュント=CONJUNTO(パレード全体の調和)


◎制限時間(60分プラスマイナス5分を超えないこと)



バッテリア(打楽器隊)のリズム一致と演奏のダイナミックさが決めてとなる

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ポルタ・バンデイラ(旗手)とメストレ・サーラの優雅さが不可欠
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コミッソン・デ・フレンテは観るものを感嘆させる演出が望まれる
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アラ・ダ・バイアーナは数百人のバイアーナ衣装をつけた女性たち
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カーロ・アレゴーリコ(山車)はパレードの目玉。趣向を凝らせたものが多い
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 それぞれのエスコーラは、各自が選んだテーマにそってパレードの趣向を凝らさなければならず、そのテーマは、歴史上の出来事や、歴史上の有名人、ブラジル文学からとった物語や伝説であったりします。 また、テーマは毎年違ったものでなければいけません。
そして、この選ばれたテーマにそってサンバ・エンヘードが作詞作曲され、エンヘードの物語にあわせて5台~8台程度のカーロ・アレゴーリコ(山車)が装飾され、同時に、カーニバル衣装も、テーマの時代や背景や表現したものが製作されるわけです。 

 これをもう少しわかりやすく説明すると、たとえばあるエスコーラで『カフェーの歴史』をその年のテーマに選んだとします。そのエスコーラはほかのエスコーラがそのアイデアを盗まないように、登録所で『カフェーの歴史』のテーマを登録します(過去にアイデアを盗まれたことがあったのでしょうね...)。
次に「カフェー」の歴史、特徴などをもりこんだエンヘードが作られます。同時進行形で、『カフェーの歴史』の物語&特徴にあうと思われる、カーロ・アレゴーリコ(山車)、衣装、飾りつけなどのスタイル、色彩、ファッションなどの検討が始まります。
たとえば、最初のコミッソン・ダ・フレンテは赤いカフェーの実が香ばしい炒ったカフェーに変化するさまを赤い衣装からこげ茶の衣装に瞬時に替える演出を考案し、最初のアブレアラス(パレードで最初に出てくる山車とその周りのダンスグループ)は、18世紀にフランス領ギアナからカフェーの木が一軍人によって持たらされたことを表現し、ダンスグループもそれに似合う衣装をつけます。
次のカーロ・アレゴーリコ(山車)は、ブラジルにおけるカフェーの黄金時代(19世紀)を表現し、当時の隆盛とカフェー・ブームで大金をつかんだ人たちの生活を表す、きらびやかな衣装を使い、山車は豪奢な劇場(ベレーン市やアマゾン市にある)などを模倣したものとします。
次はカフェーブームの低落、その次は世界各国で飲まれるようになったカフェー...
という風に、5台から8台のカーロ・アレゴーリコ(山車)とダンスグループをエンヘードの物語の流れにそって装飾し、表現するのです。



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あしあと(17)  コメント(11) 

あしあと 17

コメント 11

青い鳥

世界中の人々を魅了し続ける秘密が理解できました。
歴史の積み重ねだけではなく、
年々進歩し続けているのですね。
それにしても、参加なさる方達のエネルギー、計り知れません。
阿波踊りも終わった翌日から翌年に向けた稽古が始まるそうですが、
リオのカーニバルも終わった翌日からプランを考えるのでしょうね。

by 青い鳥 (2010-01-23 07:57) 

y-tanaka

おはようございます。
前記事、修正ありがとうございました、日本でも見ますよ言いましたが
こんな大きな規模では有りません、お祭りで多くても50人程度です。
浅草は有名ですが見てません(東京に3年以上いたのに残念です)
本場のカーニバル見たいですね。
by y-tanaka (2010-01-23 08:03) 

enosan

このカーニバルは一度は見たいものだがもう外国旅行する元気が出ない、ヨーロッパもアメリカ、カナダまで行っても平気だったんだが。やっぱり歳かなー。
by enosan (2010-01-23 09:21) 

me-co

歴史・体系を紐解けば凄いお祭り文化なんですね・・・流石は世界最大の祭!人ごみは嫌いだし、ブラジルは遠いから・・・おそらく実際に見ることは無理かな?Lobyさんの記事でmeは満足です^^
by me-co (2010-01-23 18:36) 

モッズパンツ

山車は本当にど派手になって行きますよね。1919年の家?と合体したカワユスな山車もイイですねー。w

   (゜◎ヽWW/∩ ゜)   サンバ・パレード! サンバ・パレード!
    (  ( ゚∀゚)彡 )   パシスタ! パシスタ!
     `J( ⊂彡し´
       |   |
       し ⌒J
by モッズパンツ (2010-01-23 23:10) 

Loby

≫青い鳥さん、カーニバルのエネルギーは庶民のエネルギーだと思います。
庶民ほど(団結すれば)すごいエネルギーをもつものはいませんね。
そして、それは歴史を動かし、世界を動かし、カーニバルで花開くのでしょうね♪
by Loby (2010-01-23 23:11) 

Loby

≫y-tanakaさん、おはようございます。
浅草カーニバルはたいへん有名ですね^^
いつか、是非、本場のカーニバルを見に来てくださいね♪

by Loby (2010-01-23 23:13) 

Loby

≫enosanさん、そうおっしゃらずに元気を出して、エネルギーいっぱいのカーニバルを見に来てくださいな。若返ること確実です!^^b
by Loby (2010-01-23 23:15) 

Loby

≫me-coさん、たしかにブラジルは遠~い国ですね。。。
でもハート的には日本ともっとも近いかも?
ブラジルと日本の関係は歴史深いし、ブラジルからは出稼ぎが行っているし、
日本はサッカーをブラジルから習っているし。。。
Lobyの記事でご満足していただいて有難うございます<(_ _)>

by Loby (2010-01-23 23:19) 

Loby

≫モッズパンツさん、おっしゃるとおり、山車は年々豪華で高価なものになりつつあります。製作費の上限か何かをつけないと際限ないみたい><
将来は、ゴージャスな山車は一台か二台にして、残りは初期の心に還って、もう少しシンプルな山車を製作するのも一案かもです。。。
by Loby (2010-01-23 23:24) 

Loby

≫daisukeさん、ご訪問&nice!ありがとうございます♪


≫krauseさん、ご訪問&nice!ありがとうございます♪


≫kakashisannpoさん、ご訪問&nice!ありがとうございます♪


≫ばんさん、ご訪問&nice!ありがとうございます♪


≫enosanさん、ご訪問&nice!ありがとうございます♪


by Loby (2010-01-24 08:09) 

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