カリンニョーゾ 愛あふれて... [音楽]
今日は朝からまた小雨。
日曜に続いて休日だった月曜も快晴だっただけに、ちょっぴり残念
昨日は天気良かったのに散歩しなかったので、今日こそは(?)と決意していたのに(大げさ?)。
着替えて犬の世話(餌&清掃)をしてから、運動の代わりと家の横にある通路の水洗い。
昨日、奥さんがいっしょうけんめい洗濯した(翌日も晴れると思って...><)のですすぎ水はたっぷりあります^^
ホウキをもってゴシゴシ洗いながら、バケツに水を汲んで持って来てザバーっと流し、またゴシゴシ
ガレージも少々汚れているので、ここもザバーゴシゴシ ガレージの扉の近くにクロ助が@をしていたのでこれもゴシゴシ
けっこういい運動になりました
さて、これで終わり、と思って清掃道具を片付けてからお茶でも、と思ってガレージに行くと、たった今洗ったばかりのところに新鮮な@@@が
どうやらクロ助は、私が彼女のトイレを清掃したので清潔なトイレ(?)で気持ちよく用を足したようです
ちゃんと調教すれば(@をトイレ箱でするとか)いいんですけど、うちはペットに関しては放任主義(?)なのでそんな面倒なことはしないのです。
さて、戯言はこれくらいにして今日のテーマは代表的なショーロ曲である『カリンニョーゾ』の紹介です。
ショーロとはなんぞや?というわけでまず最初にショーロについての説明です^^。
ショーロ(Choro、Chorinhoとも呼ばれる)は、ブラジルのポピュラー音楽のスタイル(ジャンル)の一つである。19世紀にリオ・デ・ジャネイロで成立した。ショーロという名前は、chorar(ポルトガル語、「泣く」という意味)からついたと言われている。ショーロはアメリカではブラジルのジャズと称されることがあるが、即興を重視した音楽としてはジャズよりも歴史が古い。(Wikipediaより引用)
というわけで、かなり歴史のある音楽ジャンルの一つですが、サンバやボッサノーヴァのように世界的にはあまり知れ渡っていませんね...
ショーロ(泣く)という名前はショーロの基本楽器である、フルート、ギター、カヴァキーニョ(ウクレレと似た小型4弦楽器)が奏でる旋律が人が泣いているような感じがすることからつけられたという説と、その昔、植民地時代のブラジルの黒人奴隷たちが楽しみにやっていたxoloと呼ばれるダンスパーティに起源があるという説の二つがありますが、多くの人は最初の説をとっているようです。
ちなみに、ここで紹介する『カリンニョーゾ』はショーロの代表的な曲で発表当時(1930年代)から現代まで広くブラジル人たちに歌われてきた名曲です。カリンニョーゾとは、”愛情のこもった、心の温かい、優しい”という意味ですが、『カリンニョーゾ』の歌詞から見ると和訳は『愛あふれて』とでもした方がいいようです
ピシギンニャ
カリンニョーゾ
ポルトガル語のオリジナル歌詞はこちら
歌唱力のあることで有名なマリザ・モンテ(女性シンガー)とパウリンニョ・ダ・ヴィオラ(作曲家、サンバ歌手)のデュエット。
こちらはブラジルの美空ひばりとでも言える、ブラジルポピュラーミュージック界の女王、エリス・ヘジナさん(Elis Regina)が歌ったカリンニョーゾです。 エリス・ヘジナさんは1982年に36歳という若さで亡くなっています。惜しいことです。
カリンニョーゾが生まれるまで
『カリンニョーゾ』が世に出るまでには興味深いエピソードがありました。それは『カリンニョーゾ』を作曲したピシンギンニャはこの曲を1917年に作ったあと、なんと10年間も机の中にしまっておいたというのです。その理由についてピシンギンニャは1968年に『カリンニョーゾ』がリオデジャネイロのイメージとサウンドのミュージアム(Museu da Imagem e Som)に収められたときのインタビューで次のように語っています。
「オレは『カリンニョーゾ』を1917年に作曲したんだけど、あの時代にはみんなは二部形式のショーロでない曲なんか誰もショーロとして認めなかったんだヨ(正式なショーロの形式は三部構成)。それで『カリンニョーゾ』を作ってからしかたなく10年間机の引き出しに放り込んだままだったんだ」と語っています。
若き日のピシンギンニャ
ピシンギンニャは当時20歳と若く、みんなに逆らってまで『カリンニョーゾ』を演奏したりしなかったということですね。
ピシンギンニャによれば、ショーロはポルカから派生した曲で、彼自身、『カリンニョーゾ』はスローテンポのポルカであると言明しています。後ほど、ピシンギンニャは同曲をショーロと定義しなおしています。
『カリンニョーゾ』が最初にレコード録音されたのは1928年でピシンギンニャ&ドンガ・オーケストラによって演奏されたインスツルメンタル音楽でした。
ジャズにあまり詳しくないある音楽評論家は「このポピュラーミュージックの作曲家は、どうやらジャズのリズムとメロディーに影響を受けているようだ。とくに最近それを強く感じる。そして今回、このショーロの発表によって曲を作ったよう。この曲のイントロはフォックス・トロットそのものであり、それ以降のメロディーはヤンキーのポピュラーソングのミックスだ。ちっとも我々の期待に応えてない」と酷評しています。(Phonoarte誌1925年1月5日号)
『カリンニョーゾ』は歌詞のないまま、このあと2回インスツルメンタル音楽として録音発売されています。このように3回もレコード録音発売されたにもかかわらず、1930年代の半ばまで大衆からまったく無視された曲でした。
しかし、1936年の10月にこの曲の運命を劇的に変えることが起きました。この月にリオデジャネイロ市の市立劇場で、当時、トップレディであったダルシィ・バルガス大統領夫人によって「パラダ・ダス・マラヴィーリャス(Parada das Maravilhas)」というチャリティ・ショーが開催されていて、友情出演をすることになった、女優であり歌手でもあったエロイーザ・エレナ(Heloísa Helena)さんが、自分の出演にふさわしい新曲を、と友人であったブラギンニャに依頼し、ブラギンニャはエロイーザさんのアドバイスを受け入れ、『カリンニョーゾ』に歌詞をつけることにしました。
「歌詞をつけることを決意してから、オレはすぐピシンギンニャを探したよ」とブラギンニャは当時をふり返って言います。
「ピシンギンニャはダンス劇場に出演していて、すぐに『カリンニョーゾ』の楽譜をわたしてくれたよ。翌日、歌詞をエロイーザさんに渡したら彼女はとてもよろこんでイタリア製のネクタイをくれたよ」
こうして、即興的ともいえる早さで名曲『カリンニョーゾ』の歌詞は生まれた。
この時を境に『カリンニョーゾ』はブラジル全国で愛され歌われる曲となり、MPB(ブラジリアン・ポピュラー・ミュージック)の大ヒット作品の一つとして数えられるようになった。 ちなみに『カリンニョーゾ』は最初の歌録音が1937年にされて(歌手オルランド・シルバ)以来、現在までに200回以上録音発売されています。
ブラギンニャ(1907-2006)
歌詞一つで一曲の運命が変わるって本当に興味深い話しですね。
それにしても、こんなに愛情の表現たっぷりな歌なんて、やはりブラジルならでの話しだと思います。
おまけ ヤマンドゥー・コスタのカリンニョーゾです^^
このギタリストの演奏を2008年に見たことありますけど、もうすごいギターの天才ですね
(ヤマンドゥーさんはなんと7弦ギターを弾くのです 動画を見ればわかります)
日曜に続いて休日だった月曜も快晴だっただけに、ちょっぴり残念
昨日は天気良かったのに散歩しなかったので、今日こそは(?)と決意していたのに(大げさ?)。
着替えて犬の世話(餌&清掃)をしてから、運動の代わりと家の横にある通路の水洗い。
昨日、奥さんがいっしょうけんめい洗濯した(翌日も晴れると思って...><)のですすぎ水はたっぷりあります^^
ホウキをもってゴシゴシ洗いながら、バケツに水を汲んで持って来てザバーっと流し、またゴシゴシ
ガレージも少々汚れているので、ここもザバーゴシゴシ ガレージの扉の近くにクロ助が@をしていたのでこれもゴシゴシ
けっこういい運動になりました
さて、これで終わり、と思って清掃道具を片付けてからお茶でも、と思ってガレージに行くと、たった今洗ったばかりのところに新鮮な@@@が
どうやらクロ助は、私が彼女のトイレを清掃したので清潔なトイレ(?)で気持ちよく用を足したようです
ちゃんと調教すれば(@をトイレ箱でするとか)いいんですけど、うちはペットに関しては放任主義(?)なのでそんな面倒なことはしないのです。
さて、戯言はこれくらいにして今日のテーマは代表的なショーロ曲である『カリンニョーゾ』の紹介です。
ショーロとはなんぞや?というわけでまず最初にショーロについての説明です^^。
ショーロ(Choro、Chorinhoとも呼ばれる)は、ブラジルのポピュラー音楽のスタイル(ジャンル)の一つである。19世紀にリオ・デ・ジャネイロで成立した。ショーロという名前は、chorar(ポルトガル語、「泣く」という意味)からついたと言われている。ショーロはアメリカではブラジルのジャズと称されることがあるが、即興を重視した音楽としてはジャズよりも歴史が古い。(Wikipediaより引用)
というわけで、かなり歴史のある音楽ジャンルの一つですが、サンバやボッサノーヴァのように世界的にはあまり知れ渡っていませんね...
ショーロ(泣く)という名前はショーロの基本楽器である、フルート、ギター、カヴァキーニョ(ウクレレと似た小型4弦楽器)が奏でる旋律が人が泣いているような感じがすることからつけられたという説と、その昔、植民地時代のブラジルの黒人奴隷たちが楽しみにやっていたxoloと呼ばれるダンスパーティに起源があるという説の二つがありますが、多くの人は最初の説をとっているようです。
ちなみに、ここで紹介する『カリンニョーゾ』はショーロの代表的な曲で発表当時(1930年代)から現代まで広くブラジル人たちに歌われてきた名曲です。カリンニョーゾとは、”愛情のこもった、心の温かい、優しい”という意味ですが、『カリンニョーゾ』の歌詞から見ると和訳は『愛あふれて』とでもした方がいいようです
ピシギンニャ
カリンニョーゾ
作曲:ピシンギンニャ 作詞:ジョン・デ・バーロ
日本語訳:Loby
ボクの心はあなたを見るたび
なぜだか高鳴る
ボクの目は微笑み
通りをあるく あなたを追う
でも あなたは
まったく気がつかないふりして
過ぎ去ってしまう
ああ もしあなたが
ボクの心がどれだけ愛にあふれ
あなたを求めているかを知ったなら
そしてどれだけ本気かに気づいたなら
そんなすげないことは二度としないでしょう
近く 近く 近く
ボクのそばに来て
そしてあなたの唇を求める
ボクの唇るの熱さを感じて
そしてボクの心を食いつくすような
この熱い愛情を受け入れて
それだけで幸せになんだ
それだけで幸せなんだ
(くりかえし)
ポルトガル語のオリジナル歌詞はこちら
歌唱力のあることで有名なマリザ・モンテ(女性シンガー)とパウリンニョ・ダ・ヴィオラ(作曲家、サンバ歌手)のデュエット。
こちらはブラジルの美空ひばりとでも言える、ブラジルポピュラーミュージック界の女王、エリス・ヘジナさん(Elis Regina)が歌ったカリンニョーゾです。 エリス・ヘジナさんは1982年に36歳という若さで亡くなっています。惜しいことです。
カリンニョーゾが生まれるまで
『カリンニョーゾ』が世に出るまでには興味深いエピソードがありました。それは『カリンニョーゾ』を作曲したピシンギンニャはこの曲を1917年に作ったあと、なんと10年間も机の中にしまっておいたというのです。その理由についてピシンギンニャは1968年に『カリンニョーゾ』がリオデジャネイロのイメージとサウンドのミュージアム(Museu da Imagem e Som)に収められたときのインタビューで次のように語っています。
「オレは『カリンニョーゾ』を1917年に作曲したんだけど、あの時代にはみんなは二部形式のショーロでない曲なんか誰もショーロとして認めなかったんだヨ(正式なショーロの形式は三部構成)。それで『カリンニョーゾ』を作ってからしかたなく10年間机の引き出しに放り込んだままだったんだ」と語っています。
若き日のピシンギンニャ
ピシンギンニャは当時20歳と若く、みんなに逆らってまで『カリンニョーゾ』を演奏したりしなかったということですね。
ピシンギンニャによれば、ショーロはポルカから派生した曲で、彼自身、『カリンニョーゾ』はスローテンポのポルカであると言明しています。後ほど、ピシンギンニャは同曲をショーロと定義しなおしています。
『カリンニョーゾ』が最初にレコード録音されたのは1928年でピシンギンニャ&ドンガ・オーケストラによって演奏されたインスツルメンタル音楽でした。
ジャズにあまり詳しくないある音楽評論家は「このポピュラーミュージックの作曲家は、どうやらジャズのリズムとメロディーに影響を受けているようだ。とくに最近それを強く感じる。そして今回、このショーロの発表によって曲を作ったよう。この曲のイントロはフォックス・トロットそのものであり、それ以降のメロディーはヤンキーのポピュラーソングのミックスだ。ちっとも我々の期待に応えてない」と酷評しています。(Phonoarte誌1925年1月5日号)
『カリンニョーゾ』は歌詞のないまま、このあと2回インスツルメンタル音楽として録音発売されています。このように3回もレコード録音発売されたにもかかわらず、1930年代の半ばまで大衆からまったく無視された曲でした。
しかし、1936年の10月にこの曲の運命を劇的に変えることが起きました。この月にリオデジャネイロ市の市立劇場で、当時、トップレディであったダルシィ・バルガス大統領夫人によって「パラダ・ダス・マラヴィーリャス(Parada das Maravilhas)」というチャリティ・ショーが開催されていて、友情出演をすることになった、女優であり歌手でもあったエロイーザ・エレナ(Heloísa Helena)さんが、自分の出演にふさわしい新曲を、と友人であったブラギンニャに依頼し、ブラギンニャはエロイーザさんのアドバイスを受け入れ、『カリンニョーゾ』に歌詞をつけることにしました。
カリンヨーゾが初めて歌われたリオ市立劇場
「歌詞をつけることを決意してから、オレはすぐピシンギンニャを探したよ」とブラギンニャは当時をふり返って言います。
「ピシンギンニャはダンス劇場に出演していて、すぐに『カリンニョーゾ』の楽譜をわたしてくれたよ。翌日、歌詞をエロイーザさんに渡したら彼女はとてもよろこんでイタリア製のネクタイをくれたよ」
こうして、即興的ともいえる早さで名曲『カリンニョーゾ』の歌詞は生まれた。
この時を境に『カリンニョーゾ』はブラジル全国で愛され歌われる曲となり、MPB(ブラジリアン・ポピュラー・ミュージック)の大ヒット作品の一つとして数えられるようになった。 ちなみに『カリンニョーゾ』は最初の歌録音が1937年にされて(歌手オルランド・シルバ)以来、現在までに200回以上録音発売されています。
ブラギンニャ(1907-2006)
歌詞一つで一曲の運命が変わるって本当に興味深い話しですね。
それにしても、こんなに愛情の表現たっぷりな歌なんて、やはりブラジルならでの話しだと思います。
おまけ ヤマンドゥー・コスタのカリンニョーゾです^^
このギタリストの演奏を2008年に見たことありますけど、もうすごいギターの天才ですね
(ヤマンドゥーさんはなんと7弦ギターを弾くのです 動画を見ればわかります)
2009-10-14 06:54
あしあと(13)
コメント(4)
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ショーロも良いですねー。トテーモ情熱的ですね。勉強になりました。w
日本人には、恐いくらい情熱的な詩ですが、このくらいはブラジルでは普通なのでしょうね。w (^ω^)b
最後の動画、会場のお客さんが合唱しておりますね。やぱーり凄いギタリストの演奏ですから、歌いたくなるのも何か分かるような気がします。w (´∀`)ノ
(^ー^)ノシ
by モッズパンツ (2009-10-14 07:33)
モッズパンツさん
本当に怖いくらい情熱的です(・Θ・;)アセアセ…
日本だったらさしずめ検閲にひっかかるかも?
こんな激しい恋の歌ってあまりないんですよね
(当地ブラジルでも><)
それでも素晴らしい歌です♪
by Loby (2009-10-14 09:11)
こんにちは!遊びに聞いちゃいました(*^_^*)
噂には聞いていましたが、やはりブラジルは熱そうですね。
淡白な日本とはかなり違いそう。面白いです。
Lobyさんの月夜に狼の画像、いいですね。
by おりおん星人18号 (2009-10-14 11:32)
おりおん星人18号さん
こんにちは。ご訪問&コメントありがとうございます。
「おりおん」っていいネームですね。私もゲームキャラに使っていましたヾ(--;)ぉぃぉぃ
Loby画像ほめていただいたの初めてです。ありがとう♪
これからもヨロシクね^^b
by Loby (2009-10-14 21:48)